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2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

資本主義は17世紀オランダのニシン漁から始まった?~『ニシンが築いたオランダー海の技術史を読む』田口 一夫 氏(2002)

ニシンが築いた国オランダ―海の技術史を読む

 田口氏は海事分野の研究者、16~18世紀、資源の乏しい小国オランダはニシン漁業で財をなし、欧州一の繁栄を誇った。オランダ黄金時代の栄光を海洋技術の発展とともに描く。(2002)

 

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ニシンが築いたオランダ

 

 

オランダの海事史家Ungerによると、同国の総漁船数(1630)は500隻、各船の平均漁獲量は約1000トンで、オランダの総漁獲量は少なくとも25,000トン、最も優れた年は年32,500トンに達したが、これはヨーロッパ全体のニシン漁獲量の約半分だったという。(66ページ)

 

16世紀までのオランダ国全体の経済は著しくニシンに依存し、それを起爆剤にしたことも確かである。「アムステルダムの町はニシンの骨の上に建っている」などの有名な比喩の生まれたのも当然である。・・・北海ニシン漁業の遂行は、広い分野の技術と産業を育成したことを述べてきた。その結果、オランダは蛋白資源を確保でき、貿易発展の基礎を確立し、さらに造船業を含めてオランダの国土に根ざした技術を存分に発展する機会がえられた。(67ページ)

17世紀オランダ経済システムの完成

 

 

オランダの貿易活動が活発になったことで、1609年にアムステルダムに為替銀行が設立された。・・・さらに商品取引所がアムステルダムに設置されたのが1613年で、同士は名実ともに西欧の経済センターになった。・・・貿易・海事事業の決済ば貨物の輸送後であるし、航海の安全に加えて、海難と海賊の危険まで負担していたこの時代の関係者にとり、高金利に苦労する以上に資金調達が難しかった。そかしオランダの金融資本は信用貸しを始め、保険・運送業の提供を行ない、しかもそれらの利子は他国の銀行の半分位だったから、オランダの商業活動はますます活発になった。(158ページ)

 

オランダの日本来航

 

 

オランダ船のリーフデ号が1600年に臼杵大分県)へ漂着したことである。同船は、ロッテルダムの資本家達が作った会社の所属船で、東インド諸島に向けて派遣した5隻の内の1隻であった。・・・日本の権力者にとり、キリスト教の伝道とは無関係な、紅毛碧眼の南蛮人の渡来は初めてだった。外国貿易を望む徳川家康は、彼らに引見した後、航海者としての深い経験と、神父でない南蛮人の目を通しての世界情勢への見識を買い、彼らを徴用することになった。(192ページ)

 

西洋文明とニシン

 

本書によれば地中海諸国であり、カソリック諸国では魚を食べる事は宗教的にも一般的であったという。それが宗教改革以降特アングロサクソン諸国ではゆっくりと肉料理へと移行していった。つまり16世紀の西欧社会にとってニシンは重要な食糧であった。

オランダの資本の蓄積

オランダは食糧ビジネスで富を蓄積、海運、造船、そして金融とその事業範囲を拡大していった。1600年初頭、イギリスの金利が6%に対しアムステルダムでは3-4%であったという。その後オランダは世界初の株式会社である東インド会社を設立する事になる。17世紀オランダは世界の覇権を握り、資本主義の歯車が回転を始めた。それはニシンから始まり、日本も無関係ではいられなかった。

蛇足

 

ニシンが築いた資本主義

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