毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

「科学」という言葉はいつ生まれたのか?~『日本語の科学が世界を変える』松尾 義之 氏(2015)

日本語の科学が世界を変える (筑摩選書)

 松尾氏は科学ジャーナリスト、日本の科学・技術が卓抜した成果を上げている背景には「日本語での科学的思考」が寄与している。科学史の側面と数多の科学者の証言を手がかりにこの命題に迫る。 (2015)

科学という概念が無かった

 

kocho-3.hatenablog.com

 

 

 

今から約160年前の明治維新あたりの日本では、近代の科学や技術に関する言葉自体はほとんど存在しなかった、ということだ。江戸時代末期、日本語には「科学」も「技術」という言葉も存在しなかった。・・・当時の日本には、科学とか技術という概念そのものが、存在しなかったからだ。(45ページ)

 

 西周(1829-1897)が作った?

 

私は、かなり昔から、サイエンスという英語を、いったい誰が「科学」という言葉に移し替えたのか、その史料をずっと探してきた。・・・科学史の研究者などに聞くと、皆「西周(にしあまね)でしょう」と言う。(49ページ)

 

 

幕末から明治期にかけて、西洋近代文明の概念やそれを表す言葉を必死で日本語に移し替る努力を重ねた人々がいたということだ。その一人、代表的な人物の一人が西明だった。(54ページ)

 

科学という言葉

 

 

科学という言葉自体はまず、個別の学術という意味で使われ、西周の頭の中で、普遍性をもったより抽象度の高い学術・学問という形で、科学と意識されたのではないか。・・・(その後明治期のどこかで)英語のサイエンスに対応するものとして、広く一般社会で普通に使われる言葉になったのである。その証拠は、例えば夏目漱石だ。漱石は随筆などで「科学」という言葉を今日の私たちとまったく同じ意味、感覚で使っている。(61ページ)

 

明治期の科学者たち

 

著者は北里柴三郎破傷風)、高峰譲吉(タカジアスターゼ)、長岡半太郎土星型原子モデル)、池田菊苗(旨味発見)などの名前を挙げ、明治20-40年代には日本の科学は世界水準に達していたと指摘する。

日本語による科学

 

 

日本人の科学は日本語によってなされていること、そして、そのもととなる言葉は、幕末明治の知識人たちの努力によって欧米から漢語に翻訳されたことを再認識していただきたい。(64ページ)

 

日本語の中には「科学を自由自在に理解し創造するための用語、概念、知識、思考法までもが十二分に用意」(14ページ)されている。しかしこれは世界的に見れば日本(と中国)など例外であり、日本語で科学を学習する事のメリットを説明する。日本人科学者は西洋文明の二分律に囚われない、多神教的な柔軟性を持つという。

例えば堀越弘毅博士は1968年フィレンツェで酸性が当然と思われていた微生物の研究をアルカリ性に拡張する事を着想した話を紹介する。堀越博士が日本人であるが故にフィレンツェで「東西文明の違い」=「違う環境での微生物」への研究を思いつく。

我々は日本語環境のユニークさで日本以外にも貢献する事する事ができるのではないか?ガラパゴス化で世界に貢献できるか?科学という言葉はその可能性を教えてくれる。

蛇足

 

 

人と違う環境、それが違いを生む。

こちらもどうぞ