毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

日本語は人造語だった~『日本史の誕生ー1300年前の外圧が日本を作った』岡田 英弘(1994年)

日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った (ちくま文庫)

 岡田氏はアジア史の研究家、邪馬台国倭国が、そのまま今の日本になったのではない。日本国の成立には、7世紀・中国の政治情勢の変化が大きく関わっている。(1994)

 
日本語は人造語だ

 

どこの国においても、国語というものは、天然自然に存在するものではなくて、建国に際して人工的に創り出されるものである。(203ページ)

中国語の百済方言

 

 7世紀までの日本列島で、共通語の役割をはたしたのは、南朝の中国文化の強い百済方言だったろう。・・・日本列島の雑多な種族たちは、新羅に併呑されて独立と自由を失わないために、倭国王家の天智天皇のもとに結集して、日本国を作り上げる。(206ページ) 

日本語の誕生

 

中国語を国語とすることは危険であった。新羅公用語が中国語だったから、新羅と対抗して独立を維持するには、別の道を選べねばならなかった。それは漢字で綴った中国語の文語を下敷きにして、その一語一語に、意味が対応する倭語を探し出しておこかえる、対応する倭語がなければ、倭語らしい言葉を考案して、それに漢字と同じ意味を無理やり持たせる、というやり方である。これが日本語の誕生であった。(206ページ) 

日本語と万葉集

 

日本語を無理やりに発明した記録が『万葉集』です。柿本人麻呂というのはその途中で現れた天才です。柿本という姓は帰化人系だとよく言われるでしょう。それは当然なのです。文化的に中国系じゃなければ和歌が読めるはずがない。だいたい57調そのものが中国の南北朝の楽府の長短句のまねだ。その時、日本国というのが誕生した。「日本」という国号は670年に初めて現れます。(250ページ) 

1957年マレー建設と人造語

岡田氏はマレーシアの建国と国語の成り立ちと日本語の成立が同じ過程を経たと説明する。マレーシア独立当時、標準マレー語というものはなく、それは口語主体であり抽象概念などの語彙が無かった。そして都市住民は英語を使っていたという。

新しい公用語として、バハサ・マレーシアと呼ばれる国語が人工的に作り出された・これはマレー語の文法の基礎的な骨格だけを残して、語彙は新たに英語から直訳してマレー語風に作り出し。それをほぼ英語の語順に従って並べるのである。・・・バハサ・マレーシア語はマレー語の皮をかぶった英語であり、役所の公文書や異なった母語を話す人々の間のやりとりに使われる、本当の意味の「公用語」である。(204ページ)

百済方言中国語に倭語を採り入れた

 

岡田氏は日本語は日本語に漢字を採り入れたのではなく、百済方言中国語に倭語を採り入れてできたという。その証拠に日本語と朝鮮語の文法構造が極めて似ている。日本語もバハサ・マレーシア語も人造語であったのだ。

蛇足

 

日本語の誕生はわずか1345年前、しかし英語の歴史と比較しても十分長い。

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