毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

どうしてゾウの密猟は無くならないか?~『徳の起源~他人を思いやる遺伝子』マッド・リドレー(2000)

徳の起源―他人をおもいやる遺伝子

マッド・リドレーは動物学出身のサイエンス・ライター、わたしたちの心をつくっているものは、「利己的な遺伝子」である。それなのに、人間社会には「協力」や「助け合い」があるのはなぜか?(2000年刊)

 

利己的な遺伝子 

 

本書は「利己的な遺伝子」を支持した上で、利己的な利益の追求の為には利他的な行動が必要である事を説明する。一つに「共有地の悲劇」と言われる現象を取り上げている。「共有地の悲劇」によれば多数者が利用できる共有資源が乱獲されることによって資源の枯渇を招いてしまうという。

アフリカの野性動物

 

 

アフリカ諸国は、植民地および1960年代、70年代の独立後、動物を国有化した。「密猟者」がこの共有資源を取り尽くしてしまわぬようにするにはこれしか方法はないと考えたからだ。その結果はこうだ。農民は政府所有のゾウやバッファローとの競争や被害に直面しており、自分たちの食糧は利益の源として動物を世話する意欲をなくしてしまったのである。「アフリカの農民のゾウに対する敵意は、西洋人は寄せる激しい同情と同じくらい激しい、心の底からの敵意なのです」(318ページ)

 

原因は政府

 

 

どこを見回しても、第三世界で起きている環境問題の原因は、所有権の喪失にあることがわかる。森から木の実や薬を収穫できるのに、なぜ人々は熱帯雨林の木々を伐採するのか?丸太になってしまえば所有できるのに、木のままでは所有できないからである。・・・財産権がなければ、人々は自分の富を築くチャンスがないからである。共有地の悲劇の解決は政府ではない。むしろ政府は悲劇の主原因なのである。(321ページ)

 

社会的な美徳の為には

 

 

社会的協調性と美徳を回復するためには、そして人々のためになる美徳を社会に復活させるためには、国家の権力とその作用範囲を縮小することが絶対不可欠である。それは番人の番人に対する熾烈な戦いを意味するものではない。・・自国および外国の政府には規模の縮小をお願いして、国防と富の再分配だけを担当してもらおう。(ロシアの貴族革命家であった)クロポトキンが思い描いた自由な個人を復活させよう。(356ページ)

 

実は、共有地は無断使用される事はない

 

共有地は共有される人々によって細かくルールが決められており、無断使用により共有地の悲劇は起こらないと説明する。むしろ共有地を国有化する事で共有地の管理者と受益者が一致しなくなる事によって悲劇が発生するのである。ゾウを保護する事は皆の利益になるとしても、それによって個人が損失を被るのであればゾウを保護しようとする動機はなくなる。

利己的な遺伝子=利他

 

人間は利己的な遺伝子を持っている、だからこそ個人間で自主的に社会的秩序を形成しそれぞれの利己的な利益を拡大しようとするのである。

蛇足

情は人の為ならず(自分の為になる)

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