今日、あなたは"違いのある情報"を生産しましたか?、文化人類学のアプローチ~『サヨナラ学校化社会』上野 千鶴子 氏(2008)
本書は、義務教育から大学院まで24年間の学生生活を送り、その後、教育者として弱小私学を経て東大大学院で教鞭(きょうべん)をとっている上野千鶴子氏の「脱学校化社会論」である。単行は2002年、文庫は2008年刊
学校とは何か?
学校はなせ試行錯誤を子供や若者に許し、彼らが失敗から学んで育つ場所とはならないのでしょうか?それは、近代における学校の機能が別のところにあるからです。・・・(学校を)通過することで人間がある規格にはめられ標準化されるーそれを最近は「国民化」といいますが、生まれも環境もばらばらな人間を、均質な日本国民に仕立て上げていく事業が行われました。
もう一つ、近代の学校は、どのレベルまでの学校を卒業しているかという学歴が人間のラベルになり、かつての士農工商のような身分制秩序にかわる選別原理になったのです。(46ページ)
学校化社会~どこもかしこも学校っぽい
こんような価値の一元化のもとでの優勝劣敗主義が、一方で敗者の不満、他方で勝者の不安という、負け組にも勝ち組にも大きなストレスを生むのだとしたら、このシステムのなかでは勝者になろうが敗者になろうが、誰もハッピーにはなっていません。(76ページ)
オリジナリティとは人と違う事
情報というものは、すでにあるものとの違い、既存のものとの「距離」のなかに生まれます。これを「オリジナリティ」と呼びます。・・・オリジナリティを獲得するためには、げんになにがあるかを知ることが大切です。これを別名教養と言います。・・・ただし教養だけあってもオリジナリティが生まれるとは限りません。(120ページ)
必要なのは情報を生産すること
図書館で調査するライブラリー・サーベイだけで論文を書く東大生たちは、・・・自分で一次情報を集めてそこから情報を自分で立ち上げる生産のプロセスを経験したことがありません。私が育てたいのは、どんなにつたないものでもいいから、オリジナルな情報の生産者です。だれのモノでもない、オリジナルなメッセージを提示したときにはじめて情報生産者と呼ばれる。そのためには他人の手をとおったセコハン情報を使っているだけではだめなのです。(175ページ)
情報を生産する方法
上野氏は情報を生産する方法として、文化人類学のフィードワークの手法を紹介する。自分でインタビューし、分類し、分析する。これらの経験によって生産された情報こそがオリジナリティを保持するという。
私は情報を生産してきたのか?
私は16年の学校生活と、企業という学校化社会を生きてきた。そこで私は本当に情報を生産してきたのだろうか?そのほとんどが誰かのつくった二次情報に留まっていると気づく。そして私は情報を生産する事の意味、他人と違う情報を生産する方法を知った。自分で動いてみる、これだけである。
蛇足
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