自分にとっての贅沢はどういう感覚を刺激しているのか?~『恋愛と贅沢と資本主義』ゾンバルト(1912 !!)
ゾンバルト(1863ー1941)はドイツの経済史家。「非合法的恋愛の合法的な子供である奢侈は、資本主義を生み落とすことになった」原書は1912年刊、文庫は2000年刊
贅沢とは?
奢侈、贅沢とは、必需品を上回るものにかける出費のことである。(131ページ)
個人的奢侈はすべて、まず感覚的な喜びを楽しむことから起こった。目、耳、鼻、口蓋、それに触覚を刺激するものはつねに、より完全な方法により、なんらかの種類の日用品の中にすがたを表した。(134ページ)
かつての貴族的奢侈
召使いが大勢いればよいというのは、家来の多いことを誇る昔風の考え方の名残りである。・・・かつては贅沢といえば多数の家臣や従者を動員することであり、たとえば祝祭日に彼らを集めて飲食させ、楽しませることであるとされた。(198ページ)
現代の奢侈の特徴
今や有益な品物をどしどし奢侈のために使ってゆくことが本命となり、従者の多いことは、これにともなう副次的奢侈となった。・・・奢侈需要の即物化は、資本主義の発展にとって根本的な意味があった。(198ページ)
奢侈と資本主義
奢侈は近代資本主義の発生を、各種各様の面でうながした。たとえば奢侈は封建的な富を市民的富(負債!)移行させるうえに、本質的な役割を果たした。・・・奢侈の市場形成力を考慮にいれなくてはならない
我々は物による個人的奢侈を追求している
贅沢、と言った時、乗用車であり衣装であり、食事である。かつては貴族的奢侈、あるいは公共的奢侈だったものが現在は個人的奢侈に移行している事に気づく。本書では「個人的奢侈はすべて、まず感覚的な喜びを楽しむことから起こった。」そして我々は感覚的喜びを得る為に「物の贅沢」を追求していった。そもそもが我々が求めているのは物ではなく、感情であると気づく。感情が欲しくて物を勝っているのである。
資本主義は感情に根ざしている
資本主義がどうやって始まったか?そしてどうして常に拡大してきたか?そこには奢侈=“望む感情の獲得“という駆動力が組み込まれていた事を実感する。どうしてもっと物を、と望むのか?砂糖は味覚を刺激し、更に砂糖を欲する。砂糖を提供し続けたのが資本主義である。資本主義は「感覚的な喜びを楽しむ」事をもたらしていた。
蛇足
自分の贅沢はどういう感覚を刺激しているのか?
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