毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

現状の延長線上にゴールを見るか、理想的ゴールから現状を見るか、の違いの大切さ~『自動車の社会的費用』宇沢弘文 (1974)

自動車の社会的費用 (岩波新書 青版 B-47)

 宇沢弘文(1928ー2014)は経済学者、市民の基本的権利獲得を目指す立場から、自動車の社会的費用を具体的に算出し、その内部化を探る。1974年刊

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人間は生産要素だけの存在であるはずがない。

自動車の社会的費用

 

 

市民の基本的権利の具体的内容を明確にし、自動車通行によってこのような基本的権利が侵害されないようにするために、道路建設などのためにどれだけの追加的投資がされなければならなかったか、という額によって、社会的費用を測ろうとするものであった。(172ページ)

 

市民の基本的権利に含まれるもの

 

 

歩行者のための道路を社会的共通基盤として建設・管理し、歩行の自由というもっとも多重要な市民権利を守り、安定な基本的な生活を確保しようとする(155ページ)

 

追加的投資

 

 

(市民の基本的権利を守る為には)道路の構造変更について、少なくとも道路幅を現在のものより片側に4メートル、両側で8メートル広げなければならない(164ページ)

 

一般的な自動車の社会的費用の考え方

 

自動車の社会的費用を道路の建設費用など維持していく為に必要な費用と交通事故・環境悪化などの社会的損失を合算したものを社会的費用と見なす。

2つの社会的費用の違い

 

宇沢氏が理想的なゴールセッティングを行うのに対し、一般的な自動車の社会的費用はは現状で予見される範囲に止める。理想的なゴールセッティングと現状の予見に大きなズレが生じない場合は幸せなケースといえよう。

50年間と今

 

本書の初版は今から50年前の1974年、その当時は自動車と歩行者は混在していた。そして50年たって自動車と市民の分離はかなり達成されている。

我々は違った視点を持てるか?

 

まえがきで著者は海外から10年ぶりに帰国して、「始めて東京の街を歩いたときに、わたくしたちのすぐ近くを疾走する乗用車、トラックの風圧を受けながら、足がすくんでしまったことがある。」(i)と書く。米国で生活したからこそ、歩行の自由を確保できる理想の道路を設定できたと言える。現状と違った視点が理想的ゴールを設定し得たのである。

社会的費用を現状の延長線上から計算するのではなく、理想的ゴールから設定する、そこには事は大きな違いがある事に気づく。自動車の社会的費用に関する議論は、基本的人権=ゴールには何が含まれるべきかを明確にする事の重要性を教えてくれる。

蛇足

 

インターネットにアクセスすることは基本的権利に含まれるべきなのであろうか?

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