毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

我々は本当に他人の心そのものを認識できるか?~動物たちの「心」を考える時

動物たちの心の世界

動物は本能だけで生きているわけではなく、さまざまな学習の能力を持っている。

2005年発刊。

 

動物に心はあるか?

まず第一のグループは人間以外のどんな動物にも意識経験などないと考えている。もう一つのグループに属する読者には、これと正反対の見解を持つ様になって貰いたい。(17ページ)

人間にとって意識するとは何か?

私たちが意識とは何かと考えたり、他の人々が「青い」という単語を使って自分と同じことを意味するかどうか考えたりするさい、私たちの意識経験は当然、より高い水準に達している。そのようなとき私たちはただ世界を自覚しているのではなく、世界の中の自分も自覚しているのだ。私たちは、世界の残りの部分とは切り離されているが必要に応じては世界に働きかけ、世界を変えることもできるという自己というものの感覚を持っている。私たちは自己の自覚があり、これが多くの人々にとって人間の意識の不可欠な部分である。(19ページ)

動物にも心がある様に見える

いくつかの動物が、動物自身の内的な心的世界を持っているという仮説を立てるといちばんよく説明するやり方で行動し、少なくとも部分的には私たちと似たやり方で「思考する」ことによって、内的な心的世界を(外部の現実世界の)代替物として操作することを、これまでに見てきた。・・・しかし人間以外の種のうち少なくとも一部のものがこうした点で人間と似ているゆえに、これらの動物は人間と同じように意識を自覚しているのだと信じなければならないことが、論理から強制されるわけではない。(237ページ)

 

動物は単に観察する人間のサインを探しているだけではないか?観察者が単純に擬人化しているだけではないか?数々の批判を検討する。

それでも動物にも心がある様に見えると、ドーキンズ氏は慎重に主張する。では人間にとって心があると本当に言えるか?

人間にとって心があるか?

動物に心があるか、の証明を「科学的に」する事が容易ではない事がわかる。経験的には動物には心がある、と無いの中間のどこかに安心できる点を認めているのであろう。我々は意識があると自覚している。そして他人にも心があると認識している。これを「科学的に」証明する事は可能であろうか?人は幾多の議論を重ねてきた。有名な「我思う、ゆえに我あり」である。自明な物など何もない、とアプリオリを否定された現代において他人の意識もまた自分の意識と区別が付かない。自分にとって心があるとして、他人にも心があると本当に認識できるか?動物に心があるか無いか証明するのが難しい。それ以上に人間同士でも決して出来ない事に気づく。「我」以外の存在を知り得ない。

蛇足

動物に心があると思うのも自分

 

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