毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

「あなたのやっている事は無駄だ」と言われた時、思い出すべき60年前の映画「東京物語」~時の前では皆が道化者

「東京物語」と小津安二郎: なぜ世界はベスト1に選んだのか (平凡社新書)

東京物語は「家族という共同体が年を経るとともにバラバラになっていく現実を、独特の落ち着いた雰囲気でつづっている。」(wiki)と語られる。バラバラになっていくのは家族だけであろうか?2013年12月刊

 

 

 

 人生を無駄にしてしまったのではないか?

自分の人生を振り返ったとき、自分がひょっとしたら人生を無駄に浪費してしまったのではないかという考えに立ち至ったとき、人はどのようにしておのれの誇りを守ろうとするのだろうか?(89ページ)

戦死した夫を思う紀子、(女優 原節子)の美しさと尊厳

物語はしだいに戦争未亡人の悲劇という、ある特定の遭遇のエピソードの次元を越え始める。おのれの尊厳を守るための自己欺瞞という、生きる上で誰もが避けがたい普遍的な苦悩をわたしたちは紀子の姿に見ることになるのだ。(39ページ)

東京物語は自分の人生と(生きていく時間に与えられた条件と、と言ってもいいかもしれない)折り合いをつけ、受け入れようと苦しく人々の物語、尊厳を守ろうとして自己欺瞞に苦しむ人々の物語として見る者に迫ってくる。(73ページ)

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夏が終わり、人生がめぐる

あらためて振り返ってみれば、通りすぎていくもののイメージに覆われた映画である、夏が終わり、気がついてみれば人生のある時期が静かに終わりを告げていた。・・・東京者物語は、言ってみれば、それだけの映画である。(198ページ)

真の主人公、「時」

時間。わたしたちを等しく運び去る地上の王。「東京物語」の人々が受け入れられているものは、じつは時の流れであり、時間という王こそがこの作品の真の主人公かもしれない。(195ページ)

「時」の前で滑稽を演じてる

彼の感受性の本質は、万人にとって避けがたく普遍的な悲しみ、それゆえに劇的にはなれない悲しみに感応する共感力(シンパシー)なのだと思う。おそらくは、小津のユーモアも、もとをたどれば、その劇的でない悲しみへの共感力に発している。そう、ユーモア。人生における避けがたい悲しみと、滑稽は紙一重だからだ。(200ペジ)

変化するもの、対立するもの、そして時

尾道と東京、戦争と戦後、着物とスーツ、親と子、様々な異質な集団の対比が浮き彫りになる。この異質なものは時間とともに変化をしていく古いものから新しいものへの移り変わりを受け止めるのが共同体としての家庭であった。戦争によって夫をなくした紀子の「微笑み」はという生き方が「ひょっとしたら人生を無駄に浪費してしまったのではないか?」という自問に裏打ちされている。時間の前では個人も、共同体としての家庭も、会社も国家も、そして地球すらも時間の前では一時を共有するに過ぎない。「ひょっとしたら人生を無駄に浪費してしまったのではないか」という問いに、すべての人は浪費してしまったと認めざるを得ない。時の前では誰もが敗者であり、そっと微笑むしかない。

蛇足

東京物語笠智衆の設定年齢は70歳、実年齢49歳、小津は計算して映画を作った。