毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

ジャーナリズムのビジネスモデルを最初に作ったのは誰か?~ITの広告料モデルは1836年に遡る

新聞王ジラルダン (ちくま文庫)

エミール・ド・ジラルダン1806~1881 

剽窃新聞、モード新聞、経済新聞、初の文庫書籍の発行など出版界における革新的事業を次々と展開して若くして財を築く。

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世界最初のスパムメール?

  

1828年、若きジラルダンは第一号ヴォルールを発刊

それぞれの新聞のなかの面白い記事を抜粋して編集し、1週間に一度ヴァラエティに飛んだ記事を提供したとき、多くの読者がこれを拍手を持って迎えた事は想像にかたくない。1週間遅れであるとはいえ、わずか年間購読料22フラン(2万2千円)であらゆる新聞の興味ある記事が読めるのだから、こんなにいいことはないという訳である。おそらくジラルダンはキャビネ・ド・レクチュール(新聞閲覧所をかねた貸本屋)に入り浸って、多くの新聞に目を通しているうちに、こんな新聞があったらいいのではないかとひらめいたのではあるまいか。これ以後、「自ら欲しているものを、他人のために作れ」ということがジラルダンのモットーとなる。

それから8年後、1836年7月1日に起こした事

この日、ジラルダンが、商業広告の導入によって予約購読料を半額にした新聞「プレス」を創刊することによって、ジャーナリズムとコマーシャルは永久的な共生関係に入り、極端な言い方をすれば、それによって、前近代的な社会は崩壊し、近代的な社会が生まれたのである。

ジラルダンによって初めてジャーナリズムに導入された事

・広告の導入によって講読料を引き下げた

・読者の勧誘に景品と懸賞を導入

・株式を発行し資金調達を行った

・連載小説を導入した

・一面トップに電報による最新ニュースと株式相場を設けた

・スポーツニュース欄を作った

・輪転機導入による印刷スピードの追求を行った

・鉄道を利用して地方に販売網を整備した

ジラルダンは新聞を商品に、そしてあらゆる商品を広めるメディアにしたジラルダンの登場する以前のジャーナリズムにおいては、新聞、雑誌は主義主張を伝達するための手段の一つであり、けっして商品ではなかった。・・・ジラルダンに作り出した新聞自体が欲望によって売買される商品だったということである。・・・そして商品であるからには、できるかぎりたくさんの人間にその存在を知ってもらう必要がある。(新聞の講読を喚起する)「広告」という発想は、ジラルダンの新聞の本質から必然的に生み出されたのである。・・・しかし、ジラルダンが本当の意味で凄いには、欲望を介して売買される商品たる新聞を売るために、たんに広告をばらまくだけでなく、それ自身を商品の媒体としてしまったことである。(269ページ)

インターネットの時代から見て

ジラルダンの軌跡を見ると、現在との連続性がはっきり見えてくる。ジャーナリズムとは何か?、コマーシャルとはなにか?。我々がITの力によって新しいメディアと考えているものはすべてジラルダンがやっていた。現在の言葉で言えば、フリー経済であり顧客情報の収集である。新聞がTVになり、ITを使ったマルチメディア化してはいるがその成長を見るとジラルダンが初めてやった事と見事に重なる。我々はジラルダンの剽窃に過ぎない。

蛇足

自らの欲望と他人の欲望はつながっているか?

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