毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

脳以外の身体がサイボーグになる時~それは瞑想状態

デジタルは人間を奪うのか (講談社現代新書)

 

 

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2014年スーパーコンピューターを駆使してチューリングテストをパスしたと報道

 デジタルの定義

デジタルとは情報を扱う際の表現方法のひとつで、連続的な数量に基づき数値化されていないアナログに対して、離散的な数量に基づき数値化されたものである。・・・アナログの手動に対して児童を意味したり、先進的技術、機械や機器、コンピュータ、インターネット、データあんどを示す場合も増えデジタルが意味する範囲を広げている。(12ページ)

脳には可塑性がある

脳内の機能は、環境、状況、経験に応じて変化するということだ。ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェは元々病弱であり、落馬の負傷や資力が弱まる中で執筆活動がままならない状態に陥っていたが、1882年、当時史上最速といわれたデンマーク製のタイプライターを手に入れ、執筆を再開できるようになった。・・・新たに取り入れたタイプライターという技術によって、脳の可塑性が発揮され、ニーチェの文体は変わってしまったのだ。(156ページ)

紙の新聞の講読を止めない理由

紙の新聞との対峙はどことなくホッとするのだ。そして、記事に集中できる感じがする。・・・それは紙の新聞が「閉じた世界」であるからだ。対してデジタルの中は「広がる世界」だ。ひとつのニュースの中にもたくさんの関連リンクが設置され、一つのニュースからその関連ニュースや関連用語を辿り、辿った先でもさらに他のニュースへ辿るということが繰り広げられる。・・・デジタルの中はこのように「広がる世界」であり、これこそがデジタルの凄味といえる。・・・それに比べて紙の新聞は「閉じた世界」だ。辿るようなリンクもバナーもないし、検索窓もない。・・・僕はデジタルの世界に魅了されながらも、デジタルはその閉じた世界の価値観をいまだに奪いきれずにいたようだ。(198ページ)

本書のテーマ「デジタルのもたらす違和感」について思う事

文書をスクリーンで見るのとプリントアウトして見るのでは集中の度合いが違うと感じてきた。その差は「閉じた世界と開いた世界」の違いであると認識できた。

   情報のインプット・アウトプットが変化すると脳はそれに併せて可塑性を発揮する。本書の帯には「人工知能が人の脳を越える日」。脳以外の身体のすべてが機械に置き換わっても脳は可塑性を発揮するであろう。その時の情報のインプットとアウトプットは現在とは大きく異なり電気パルスに集約される事になると考えられる。デジタルに伴う違和感はアナログから最終的な電気パルスに変化をしていく過渡期に伴うものなのかもしれない。

蛇足

瞑想とは電気パルスだけの状態にする事、