毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

どうして欧州で二度の大戦が起きたか?~19世紀以降の軍事理論の変遷

軍事学入門 (ちくま文庫)

19世紀以降の歴史を参照しながら、「開戦法規」や「作戦計画」、「動員とは何か」、「勝敗の決まり方」など素朴な疑問に答える。

 悲惨な第一次世界大戦 

1914年に勃発した第一次世界対戦は、このマス・アーミー(大衆軍)同士が激突したもので、塹壕戦となり、また4年3カ月にも及ぶ長期戦となりました。これは陰惨な戦いで、ヨーロッパ国民の860万人が戦死しました。・・・ドイツ国民はヴェルサイユの審決に納得がいきませんでしたが、マス・アーミーを再度組織して大被害を覚悟してまで再演を挑むことには、やはり消極的だったのです。(14ページ)

プロフェッショナル・アーミー

しかしプロフェッショナル・アーミー、すなわち少数の専門的な、よく訓練された軍隊は、マス・アーミーに勝利できるのではないか、と密かに考えた男がいました。それがヒトラーです。ヒトラーはプロフェッショナル・アーミーの中核として機甲師団を創設し、「塹壕戦」とせずに敵野戦軍を包囲殲滅できる」と考えました。第二次大戦のフランス戦でこれは大成功を収め、その二十二前、180万人の戦死者を出しても踏み越えることができなかった西部戦線を突破、1カ月半でパリを占領することに成功したのです。(15ページ)

 

その前にどうして第二次世界大戦が始まったか?

(フランスおよびイギリスと集団安全保障を結んでいたポーランドは)ドイツも英仏両国を敵に回してまで、ポーランドに攻め込むことはないであろうと考えたわけです。そしてヒトラーポーランドに攻め込んでも、(中略)英仏は立たない、または立っても西部戦線で攻勢にでることはないと予想しました。このすれ違いが第二次世界大戦を引き起こしたのです。

f:id:kocho-3:20140914021629p:plain

WWⅡはWWⅠで失ったドイツの失地回復の動きから始まった。

ふたたび、それではどうしてヒトラーは誤解したのか?

軍縮」と「宥和政策」をやると、他国はその国が弱いとみなして、先制攻撃やテロの誘惑にかられるのです。・・・そのヒトラーは、平和運動に没頭するイギリス国民に弱さをもて、フリーハンドを得たと思ったのも確実でしょう。(230ページ)

軍事とは何か?

機構師団とは戦車と車両によって高速移動できる軍隊のこと。この新しいコンセプトが軍事バランスを大きく変えた。一方で凄惨なWW1を経験したからこそ欧州で平和運動が発生した。この二つがWWⅡを招いたという事を理解する。

我々は軍事について二重の意味で知らない。一つは平和憲法の存在、もう一つは専門家による軍事情報の占有、である。本書まえがきから引用する。「多くの場合、君主・政治家・外交官・軍人も『これで戦争に勝てる』と思うか、『これをやらなければ逆に戦争をしかけられて負ける』と思って、作戦計画を発動させます。(16ページ)」。軍事についてタブー視するのではなく、自分で考える事の重要性を認識する。

蛇足

本書によれば自衛隊のコストは一人2000万円。軍隊は高い維持費が必要。