毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

ポストモダンの思想と科学~1997年の「知的詐欺」、ソーカル事件に学ぶ

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)

 科学をめぐるポストモダンの「言説」の一部が「当世流行馬鹿噺」に過ぎないことを示し、欧米で激論をよんだ告発の書。

 
本書の著者によるソーカル事件に端を発する

数学・科学用語を権威付けとしてでたらめに使用した人文評論家を批判するために、同じように、科学用語と数式をちりばめた無意味な内容の疑似哲学論文を作成し、これを著名な評論誌に送ったところ、雑誌の編集者のチェックを経て掲載されたできごとを指す。ソーカル事件 - Wikipedia

 

ポストモダンとは

ポストモダニズムとよぶ哲学は、啓蒙主義の合理主義的伝統を多少なりともあからさまに拒否すること、経験に照らし合わせての検証とは結び付かない論考、そして認識的相対主義を標榜して科学を数ある「物語」、「神話」、社会的構築物の一つとしか見ない姿勢、などで特徴ずけられる知的潮流のことである。(1ページ)

極端な科学主義(①)

科学主義というのは、すべてを物体の運動や自然淘汰やDNAに還元しようとする他ならぬ物理学者や生物学者の犯した罪ではないのか?・・・・仮に「科学主義」とは、単純ではあるが「客観的」で「科学的」と思われる方法を用いれば、非常に複雑な問題さえも解決できるという幻想を指すものとしよう。・・・ある領域である程度の妥当性を持つ考えの集まりから出発して、それらをテストして洗練しようと試みるかわりに、理不尽にも外挿してしまうことである。

社会科学における科学主義の反応~1990年代の共産主義国における知識人(②)

たとえばチェコ大統領ヴァーツラーフ・ハヴェルは次の様に書いている。『共産主義の没落は、世界を客観的に認識することが可能であり、そうして得られた知識は絶対的に一般化できるという前提に基づいた現代思考が、最終的な危機に至ったしるしとみなすことができる。』(284ページ)

確率論的物理の世界と決定論的物理の世界(③)

原子レベルでの物理法則は今日では確率的な言葉で記述されているが、それにもかかわらず、流体力学などの他のレベルでは決定論的な法則が(非常に高い精度で)成立しうる。社会現象や経済現象などについてさえ(より近似的ではあろうが)決定論的な法則が成り立つことがありうる。・・・実際問題として、原子から流体や脳や社会までの間にはあまりに桁違いのスケールの隔たりがありすぎるので、それぞれのスケールの領域で独自のモデルや方法論がごく自然に採用されている。(278ページ)

ポストモダンの弊害(④)

科学の最良の部分とは、世界を合理的に理解しようとする姿勢と、経験的な証拠と論理性を重んじるという広い意味での科学の手法である。・・・政治的、経済的な権力を振るう側としても、科学や技術に(ポストモダンの思想により)このような攻撃が加えられることを好ましく思うのはごく自然だろう。こういった攻撃は、彼らの権力の基盤となっている様々な力関係を覆い隠すのに役立つからである。

本書の主張を①、②、③、④を使って整理

ポストモダンの思想は①でいう極端な科学主義の負の部分を引用する。その背景として②の例からもわかる様にマルクス主義の行き詰まりが背景にある。そもそも科学は③でわかる様にスケール毎に違ったモデルが採用されており、社会科学分野に適用できる統一理論ではない。ポストモダンの弊害は合理的思考の軽視でありそれは極端な相対的認識論、別の言い方をすれば、神秘主義・迷信の信仰につながりかねない。その結果は④の様な社会的、政治的な負の影響力を持ち得る。このブログ自身が理系の情報の濫用をするのではなく、科学の最良の部分を認識する事で世界をより高い視点で考察できる事が私の「希望」。

蛇足

自然科学の不正論文も「科学の最良の部分」への攻撃である。