毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

桃太郎とイエス・キリストの伝承の共通項、神と「小さ子」の物語~それは人類普遍の物語

桃太郎の誕生 (角川ソフィア文庫)

柳田 國男(1875年- 1962年)   

日本の民俗学者・官僚。「日本人とは何か」その答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行。

 

f:id:kocho-3:20140802215301p:plain

柳田氏は桃太郎と西洋のグリム童話を初めとする各地の童話を比較した。本書の初版は1930年、今から95年前の事である。

 

桃太郎の特徴

桃が川上から流れてきてその中に赤児があり、それで桃太郎と名をつけたという点ばかりは、隣近民族にもその類似のものを発見せられないから、多分はわが国において新たに出現したものであろう。(34ページ)

桃太郎の構造~「小さ子」物語

もとはおそらくは桃の中から、又は瓜の中から出るほどの小さな姫、もしくは男の子、すなわち人間の腹からは生まれなかったということと、それが急速に成長して人になったということ、私たちが名づけた「小さ子」物語というものが、この昔話の骨子にあったかと思う。(36ページ)

「小さ子」物語は人類にとって普遍的なテーマ

こういう昔話の起こりは古かった。すなわちある最高の遺志、もしくは計画のもとには、貧しい大工の女房の腹からでも、イエス・キリストは生まれたのと同様に、いたっていやしい爺と婆との拾い上げられた瓜や桃の実の中からでも、鬼を退治するような優れた現人神は出現しうるものt信じる人ばかりに住んでいた世界において、この桃太郎の昔話も誕生したのであった。(41ページ)

桃太郎は神話~説話、そして童話と変化した最終形

柳田氏は以下の様に説明する。日本の神話、「神が小蛇の形になって、人間の美女に求婚した話=神人通婚」が時代とともに説話、そして童話と変遷する中で神人通婚の部分が抜け落ちたのが童話としての桃太郎と分析する。一言で言えば「小さ子」は神と人間の結婚によって生まれたという事。

柳田氏の桃太郎からわかる事

人類は完全なる存在を求めてきた。完全なる存在を神と呼ぶか、別の名で呼ぶかは文化によって差異はあるが本質は「完全なる存在を求める」精神状態であろう。桃太郎が生まれるディテールは日本独自のものである。しかしながら桃太郎の童話は人類共通の「小さ子」物語というグローバルに普遍的な構造を有している事が明らかになる。

蛇足

宗教、神話ともその本質は世界中で一緒。