毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

カロリック(熱素 )、エントロピー、19世紀末の学者ボルツマンを知っていますか?~自分は変われると信じられる為に

死ぬまでに学びたい5つの物理学 (筑摩選書)

山口氏は物理の専攻、「物理は道具ではない、思考軸を得る為のもの」と提唱。

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序説は「強く生きるために物理学を学ぶ」

 

万有引力統計力学、エネルギー量子仮説、相対性理論量子力学の5つのパラダイムが紹介される。ボルツマンの統計力学にそって進める。

化学の世界では原子論は浸透し始める

実在としての原子は、19世紀に入ってからイギリスのジョン・ドルトンンやイタリアのアメデオ・アヴォガドロらによって、化学の世界で主張され始めま\す。とりわけ、ラヴォアジエは、1774年に精密な質量測定実験を行って、化学反応の前後で物質が変化しないことをみつけます。彼は様々な化学反応を分析して、物質は特定の幻想からできている仮説に行き当たったのでした。但しラヴォアジエも熱は元素だと考えていました。熱はカロリック(熱素)という名の元素で、これが入るとものは圧なり、これがなくなるとものは冷える、というものです。(67ページ)

 ボルツマンの主張~H定理

熱とは、原子や分子の運動そのものである。圧力とは原子や分子がニュートン力学に従って運動し、壁に衝突して与える平均的な力である。そう考えたボルツマンは1872円、H定理に到達します。(67ページ)

 

H定理(エイチていり)とは統計力学で、理想気体エントロピーが不可逆過程では増大することを示す定理。微視的には可逆(時間反転可能)なはずの力学的過程から、エントロピーの不可逆な増大が結論される。(Wiki

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ボルツマンの墓標:S=K lo W ルートヴィッヒ・ボルツマン 記念シンポジウム | ユーロテクノロジー ジャパン

物質の温度とエネルギーの間には一定の関係がある。(温度が上がれば分子が振動し保有エネルギーは増える)・・我々にとっては違和感はない。
 50度の気体から80度と20度の同量の気体に分ける事は可能か?

我々は80度と20度の気体を混ぜると50度の気体が出来る事は常識として受け入れられる。そしてその逆も起きない事も知っており「覆水盆に帰らず、」と例える。これをボルツマンは分子のエントロピー状態で説明した。

 

いつかはある瞬間に、80度と20度に分離する事があるかもしれない。しかし、その確率は限りなくゼロに近い。つまり、ボルツマンは確率という考え方を導入することで、50度の気体から80度と20度の物質をつくる事はほとんど確実にできないことを証明しました。(68ページ)

もっとも確からしく実現される状態(熱平衡状態)が一つだけ存在(前の例で言えば50度の状態)が一つだけ存在することを示します。そして、この熱平衡が実現された時、エントロピーが最大になることを導くのです。(75ページ)

ボルツマンが結果として成し得た事~自然哲学と科学の分離

科学は理論の正当性を問わず、有効性のみを問えばいい。こうして19世紀後半に物理学あるいは科学は理論の正当性を問わず、有効性のみを問えばいい。こうして19世紀交換に物理学あるいは科学は、始めて哲学と中核とする人間の学問と袂を分かちました。これは、人間の精神を論じる時に問われる「正当」や「目的」という勝ちから、科学が「解放」された事を意味します。科学は「喜善美」というやっかいな問題の地平線から離陸して、観察と経験から得られる実証的な知見に自らを限定することにしたのです。(73ページ)

①こちょ!:ボルツマンはどうして哲学の世界から反対されたか?「あなたは原子を見た事があるか」

化学の世界では受け入れられつつあるものの、電子顕微鏡のない当時は原子は未だ観察されておらず、エネルギーの流れによって説明しようとするエネルゲティーク論と衝突する。現在の我々から見るとエネルゲティーク論もボルツマンの意見に反対する理由もよくわからない。

②こちょ!:観察されない原子を物理現象の説明の根拠とする事の恐怖

19世紀末に、主にはドイツ語圏を中心として、原子分子の概念を断固拒否する物理思想、いわゆる「エネルゲティーク」の潮流が大きな力を得たことはよく知られている事実ですが、原子が当たり前の今日からすると、なぜそんなにも原子を毛嫌いする人々がいたのかきわめて理解に苦しむところです。観察もできないような実体は実在とは認めない偏狭な科学思想が陥った不幸な誤り、と言ってしまえばそれまでですが(中略)ギリスピー氏によれば、こうだ。力学的理解というものは、その理論構造のうちに、常に、それ自体は計量不能の実体を導入せざるをえず、それがために、物理現象を力学へと還元していくことは世界の完全理解の理想に到達しえない限界をそもそも抱えている、という潜在的な不安と不満の感情が物理学者の中にはあったのではないかというのである。(CCギルスピー氏のAmazon.co.jp: 客観性の刃―― 科学思想の歴史[新版]の 喧さんのレビューより抜粋)

③こちょ!の考えた事

先例の50度の気体を80度と20度に分けられないか?これも実はカロリックで説明が付く。大砲の砲身をくり抜く時の摩擦熱の存在がカロリックで説明できない現象だった。砲身にカロリックという熱素が沢山あったのではなく、砲身の金属分子が振動したからである。ボルツマンは砲身とは関係なくあくまで抽象思考によりロジックを獲得した。人間は思考により完成された世界の先に、全く新たな世界を築きあげる事ができる。これがパラダイムシフト。著者は「知の創発プロセス」と言う。

蛇足

私も思考により世界の見方を一新できる。