毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

ワールドカップ開催中にGoogleを使って実感、「ストーリー」の持つ力~佐藤優氏のサバイバル技術に学ぶ

Googleのトップページにはワールドカップの対戦国のイラスト

 

f:id:kocho-3:20140619065528p:plain

スペインとチリのワールドカップ   2014-6-19AM6:30(JPT)

 

Googleのトップページは「ナショナリズム」の意味を思い起こさせる。ナショナリズムはストーリーを共有する事から始まる。対戦する国同士、ワールドカップの試合というストーリーを地球の反対側にいてリアルタイムに共有する。

 逆境を乗り越える技術 (ワニブックスPLUS新書)

佐藤優氏のストーリーについての説明を引用する。

 

小説では別々の登場人物がシンクロして一つのフレームを形成

このナショナリズム論の古典とも言うべき書(想像の共同体)は、小説論です。小説内では場面が別々なのですが、話はつながっているのです。(別々の登場人物が一つのフレームの中で)「つながっている」という意識を共有できるのが民族であり、想像の政治的共同体である-アンダーソンはこういう論を展開しています。そしてその想像のフレームワークを作るのが小説だとしています。(211ページ)

「想像の共同体」についてはこちらもどうぞ、オリンピック 想像の共同体 - kocho-3の日記

ナショナリズムとは共通の小説を通じ共通の土俵の物語にいる事

お互い出会っていないのだけれども、共通の土俵の物語の中にいる。これがナショナリズムなんですよ。例えば太平洋上のどこかの孤立した島にドイツ人とイギリス人がいるとします。お互い仲良くしていました。ところが第一次大戦が始まってお互いの母国から新聞が届きました。そこには相手の国がいかにひどいかが書かれている。それによって仲違いが発生します。「ふざけるな!」と。これが想像の政治的共同体なんですよ。小説の構造と一緒なんです。

Kochoの考えた事、ストーリーとは様々なものを一つの関係性で結び付ける事

佐藤氏は「小説の構造」と「想像の政治共同体としてのナショナリズム」が同じだと説明している。これを一般化してみる

①小説の登場人物というレイヤーで見た場合

小説内の登場人物はお互いに会わなくてもその小説が与えたフレームという同一の視点を共有している。

②小説の読み手というレイヤーでみた場合

同じ小説の読者はお互いに会わなくてもその小説が与えたフレームという同一の視点を共有している。

ナショナリズムというレイヤーで見た場合

同じナショナリズムの読者はお互いに会わなくてもそのナショナリズムが与えたフレームという同一の視点を共有している。

④抽象的概念としてのストーリーというレイヤーで見た場合 

「小説であれ、インターネットの記事であれ、TVの中継であれ、」同じストーリーの共有者はお互いに会わなくてもそのストーリーが与えたフレームという同一の視点を共有している。

 

ストーリーを共有した者同士では共通の仲間と敵が形成される。子供の頃、TVの番組の悪者話で盛り上がった事が思い出される。佐藤氏は生き残る為には自分のストーリーを周囲に共有させる事とまとめている。

 

蛇足 

 世界で今この瞬間、Googleの画面を何億人の人が共有しているのであろうか?