毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

近代科学は「成り上がりのストーリー」の寄せ集めかもしれないという視点~いきづまった、と思った時に

 近代科学と聖俗革命〈新版〉村上氏は科学史の研究家。本書の初版は1976年!

本書を以下の様に始める。

17世紀は偉大な世紀であった。今日我が、自然科という言葉で呼び慣わす知識体系の祖型はほとんど、この世紀に集中して形成された。

  

村上氏は世俗革命という概念を提唱する。私の言葉で言えば「我はケブラ、ガリレオ、デカルトを今日的な視点、つまり科者として見ている。しかしながら彼らはその思考の体系として様々なものを抱えていた「宗教者」「哲学者」でもあった。」「宗的」あるいは「哲学的」と分類される領域を分離してきた過程が村上氏の言う聖俗革命であり17世紀~18世紀がその期間。

 

村上氏の聖俗革命

 その第一は、知識を共有する人間の側の世俗がそれであった。神の恩寵に照らされた人間だけが知識を担い得る、という原理から、すべての人間が等しく知識を担い得る、という原理への換である。第二の段階は、知識の位置づけのための文脈の換であった。神―自然―人間という文脈から自然―人間という文脈への化がそれである。その化のなかで、科と哲とが、それぞれに立するというプロセスが付する。(34から再構成)

 

聖俗革命を円柱で明してみる

 一つの円を設定し、その円を底とする円錐を想像する。この類推を、西近代科史的推移にて嵌めてみる。底はその出点としての十七世紀ヨロッパと考え、底して立てられた円錐の軸は、その後の時間の過を示すものとする。円錐の頂点もしくは頂点に近い部分が「今日」である。十七世紀を底とする西近代科は、しかしその後の過の中で、その底のもつすべての可能性を保持、大してきたのではない。(中略)啓蒙主義が、今日我が前提としている円錐を決定するのに最終的な役割を果たした。科の蓄積性、逓増的進、唯一絶理への斬近的接近と、史の円錐的解は一致する。282ジより再較正)

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A点:今日成功している立場

B点:今日では否定されている立場

C点:C点の周に知の体系があって初めてC点が存在していた。

 

ケプラの持つC点とその周~たとえば今日的に非科学的な占星術

 今日の正統的科史の円錐の中にあっては、ケブラは、正しい惑星運動の三法則の見者としてしかされない。彼のもっていた調和の精神や、占星術や、ネオプラトニズムの統は、この円柱の光では証明されない。

 

「成り上がり物語」~A点だけから眺めればいいか?

 史は「成り上がり物語」だというのは、今日成功している立場を前提にして過去のpすべてが評されているからである。(281ジ)

 

A点などではなく、今日の円筒の載口全体の中で初めて捉えられるべきものである。つまり我の科にも、我の科が引きづっている「愚か」な部分が組みまれており、そうした部分きの、純理論を論ずることには、あまり意味がない。(289ジ)

 

可能性の存在を認識する

 西近代科とははもっとずっと多くの可能性を秘めており、そうした近代主義的=啓蒙主義的な解り越える手だてさえも、自らのなかに充分包しているとも言えるのである。(そのに我は)安易に「東」を向くのではなく、もう一度「西近代」のもつ多な可能性を探ってみなければならないのではないだろうか?(289ジから再構成)

 

科学的とは何か?歴史とは何か?絶対的なものが無い、という事、1点を見るのではなくその周囲を理解する、といった、当たり前の経験則に落ち着く。

「科学的に言えば、」あるいは「データによれば、」という表現は「成り上がり物語」でしかない。 あるいは逆に現在の科学は行き詰まっていると考えるのも点でしか見ていない証拠。
蛇足行き詰まった時こそ、俯瞰すれば解決策はみつかる。