毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

グローバル資本主義から見た150年前の日本~それは今日につながる視点

 

幕末日本探訪記 (講談社学術文庫)

 本書後扉より、「英国生まれの世界的プラントハンターが、植物採集のため幕末の長崎、江戸、北京などを歴訪。日本の文化や社会を暖かな目で観察する一方、桜田門外の変、英国公使館襲撃事件や生麦事件など生々しい見聞をも記述。」

 

グローバル資本主義という観点から本書を抜粋してみる。

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江戸は緑に溢れる世界のどの都市も及ばぬ美しい町並みを持つ、と紹介

 

 

日本の軍事組織に関して

 大名達は彼らの藩兵に、戦争の技術を絶えず訓練させていたのである。(中略)同時に我々は、刀だけで戦うのではないから、戦争の結果については自信がある。しかし、そのような、日本と戦うようになる事は、遠い将来のことにさせたいものだ。少なくとも我々は、日本人が血を流さずに開国したことに満足すべきかもしれない。(122ページ)

 

日本の天皇制の成立について、鎌倉訪問の際の記述より

 西暦1185年頃の頼朝の時代から1861年の現在まで、日本の国には二人の君主が存在していた。京都に住むミカド、つまり聖なる天皇陛下と、江戸に居住する大名、すなわち俗界の天皇(将軍)である。(中略) (聖なる天皇陛下)ほんの少し動いたり、視線をそらせても、彼が目を向けた方角の国が、不幸な戦争や飢餓や飢饉や火災、あるいは悪に悩まされることが予期された。こうして、日本に騒乱の絶えない状態が続いたので、ついに政治体制を二分する道が開けた。天皇が帝位を継承し、政権を取った将軍が更に国を確固たるものにしたので、災害が少なくなった。

 

徳川幕府の分析~封建制の硬直化が進んでいる

16世紀の終わりごろまで、将軍は、天皇の任命とその後ろ楯で世にでるとはいえ、天皇をしのぐ権威と財力をもち、力強い統治者に見えた。その時以来今日まで、将軍は天皇の支配から独立したけれども、既に幕府は閣老の人形然となるほど衰退し、城門の外にでることもまれであった。(233ページ)

京都か江戸のどちらかに、権力のある政府の組織ができて、封建制度を破壊するような変化が起こらない限り、日本に居留する我々同胞の声名は少しも安全とは言えない。だが、これはどうしたら成就できるか。内乱か列強の干渉か、どちらにしても、1861年の現時点では定かではない。(252ページ)

 

日本の農業に関して~自給自足

数千エーカーもの肥沃な土地が、未開墾のまま放置されていることや、あまり価値のない原始林や灌木が繁茂していることをこの眼で確かめていた。(中略)日本の産物が、人々要求を十分に補給してもなお余りはあるからにちがいない。そのようにして何代もの間、世界の国々との交流を閉ざしていたので、その間に外国の需要に寄与することなく、食料や衣料はまったく時給自足してきたのだろう。(264ページ)

 

日本の産業構造と輸出競争力について

 日本は自国内で生活必需品や贅沢品のすべてを供給できるだけのものを十分に持っている。日本の田畑で、熱帯と温帯の産物が同じように生産されたものが、農家の納屋に貯蔵されている。どこの山脈からも石炭、鉛、鉄、銅が発掘され、貴金属もまれではない。茶、絹、綿、木蠟、油脂類が国内いたる所に豊富に産出され、朝鮮ニンジンや他の薬草類は、塩魚や海草などと一緒にシナヘ多量に輸出されている。

 

日本から買いつけられる商品は何か?茶と絹

現在、絹と茶がもっとも重要で、ヨーロッパとアメリカ向けの貴重な輸出品となっている。私が観察した日本各地では、輸出の主要品である絹と茶は、ほとんど無制限に供給する生産力を持っているが、特に茶は有望だと確信している。現在、茶の樹を栽培すれば、茶葉が豊富に収穫できる幾千エーカーもの価値ある土地が、未開墾のままか、不生産性で放置されている。というわけで、日本からの、茶の供給が増加することを信じて、楽しみにまととしよう。更に製茶工程の改良によって、必然的に、茶の風味を増すようにしたいものだ。(267ページ)

 

日本のグローバル経済化に対する反応について

大量の生産品が諸外国に輸出される結果、物価が日に日に上昇したので、勢い生活が苦しくなった人々は、原因を貿易のせいにして、不満を訴えている。富裕階級でさえ、以前の貿易禁令を取り消す申し渡しを快く思っていないので、前の規則(鎖国)に戻ることを望んでいるようだ。(中略)開国後の自由貿易によって、各国から多数の商人が大資本を持ってやってきて、船団で日本の産物を運び去ろうとは、思いもよらなかった。外国公使の作成した声名書の通り、まさしく食料品の価格あ上がった。物価高騰は外国人の存在と行動の為だとして、人々は不満を抱き、自由貿易とそれによって生じる将来の利益を求めたり理解しようとはしなかった。(274ページ)

 

イギリスから見た貿易相手国として見た日本

日本は多くの利点を持つ貿易の場所として、特に我々の製品市場としては買いかぶってきた。とはいえ、多量の絹と茶を我々に供給できることは間違いなく、我々の幸福や楽しみに欠く事のできない、それらの品々を今はシナに依存しないでよくなった。けれども日本は、我々の製品の輸入先としては、決してシナに匹敵する顧客ではない。(278ページ)

 

1861年、日本が今後どうなるか

1861年江戸では既に一種の革命が起こったらしい。」と言って参勤交代の制度を廃止した事を挙げる。「この参勤交代制の改革は、一見して将軍の輝かしい威勢が非常に低減した」か、「突然の急進的な変革に対して、それでも将軍の幕府は容認されていたよりもっと強力であった様に見える」、幕府がどうなるかは未だ不明であると記している。(252ページ)

 

 

150年前、フォーチュン氏はグローバルな資本主義の枠組みの中で、プラントハンター、今で言えば「バイオテクノロジーと農業の専門家」として日本を訪問した記録である。抜粋部分を読むと、現在の経済誌の「ある国」の紹介記事だと言われも驚かない、つまりは今日的な価値観で記述されている事に驚く。今日的な「グローバルな資本主義」という価値観から150年前の日本がどう写るか、本書は現在の我々に貴重な情報を与えてくれる。

 

蛇足

今も参勤交代の残滓を見つけらる。それが150年の短さの意味。