毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

なぜ1冊の本がイタリアと世界の食卓を変えたか?~新しい料理のコンセプト

イタリア料理に行って「ピザはないのですか?」と聞いたら「いわゆる高級レストランでは出さない、」と言われた。調べたところ、当初ピザは屋台や路地売りされていた。それでは伝統的イタリア料理とはどういうものか?

 イタリアは1861年に統一されるまで、ドイツ、フランス、の影響力、カソリック教会の直轄地など都市国家的に分裂していた。これが1861年に統一された。わずか150年間の事である。イタリア料理は統一後30年を経て、1891年にレシピが固まった事を知る。

パスタでたどるイタリア史 (岩波ジュニア新書)

「料理の科学と美味しく食べる技法」が1891年に出版

(著者)アルトゥージは最初トスカーナ地方のティレニア海岸の町リヴオルノの商社に務め、ついでフィレンツェに住んで1種の銀行を設立して財を成しました。50歳で仕事をやめて引退、しかしその余暇を利用して文人として幾つかの著作をものにし、また趣味で料理を研究して、それを後半生の仕事にすることにもなったのです。その成果が1891年に出版された上記の書物ですが、この執筆には、幼少時よりイタリ各地を旅し、あらゆる地方の気候風土、土地柄、民族に精通していたことが助けになりました。

アルトゥージの料理本は国家統一に大きく寄与

アルトゥージの料理本は、結果として、料理の、そしてパスタの国民統合を促すことになりました。(中略)彼の真面目は、さまざなな地方料理に、持ち前のセンスによって新しい時代に相応しい修正をして、それを国民レベルに広く再提示したことでした。そして彼が選んだ主要な料理は、イタリアを代表するレシピとして一書にまとめられ、それが新興市民階級に大いに歓迎されたのです。現在に至るまで仮定に一冊必携、というように評価が定まった本書の意義は、この国家統一まもない時期、はかりしれないものがあったでしょう。それは「料理」を通じた国家統一なのですから。

 

どんな料理だったか?

彼らブルジョアたちは、豪華というより洗練された料理を好み、量や品数の多さで驚かせることはもうありません。一人あたりの分量も少なくなり、かつて権力・貴族性の印であった旺盛な食欲はもはや評価されないのです。(中略)イタリア料理の場合には、そこに貴族と農民、双方の経験・価値観の寄与があるときうところが、フランス料理と異なる、大きな特色であり、また長所でした。(中略)こうしたブルジョアにこそ相応しい料理を、「イタリア料理」として提示したのです。そのために、地方の代表料理を抜擢して修正するとともに、かつて身分制となっていた伝統料理を平準化しました。(151ページ)

f:id:kocho-3:20140419094822p:plain

Ricettario di Artusi:ユーチューブの画像、我々のイメージするイタリア料理そのもの

 

近代ナショナリズムは言語、歴史、ストーリーによって生まれる。イタリアの場合、ローマからの長い歴史はある意味偉大すぎて、イタリアという国の象徴にはしがたいのであろう。イタリア料理、120年を経て東洋のこの地において、イタリア料理の期号性が色あせていない事に驚く。元を正せば一冊の本に行き着き、コンセプトの明快さが味覚という身体性に結びつく事でリアリティを持ち続ける。アルトゥージの本は最初は自費出版、その後版を重ね現在に至る。

 

蛇足

1冊の本が提示したもの、地域性と階級(!)に依存しない、新しい料理のコンセプト