毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

レギオモンタヌスという天文学者を知っていますか?~知は力

 藤川芳朗氏はドイツ文学の研究家、翻訳家。ケプラーとガリレイ: 書簡が明かす天才たちの素顔 訳者あとがきでレギオモンタヌスについて記している。

 

 

レギオモンタヌス~1436-1476 ドイツの天文学者

11歳の時ライプツィヒの大学に入った。ハンガリー国王マーチャーシュ1世と枢機卿ヨハンネス・ベッサリオンのためにアストロラーベを製作し、1465教皇パウル2世のために日時計を製作した。プールバッハとの研究は太陽中心説の見方をもつニコラウス・クザーヌスの著作にも関心を抱かせたが、プトレマイオスの天動説支持者として留まった。プールバッハの没後、プールバッハが始めた『アルマゲスト』のギリシャ語からラテン語への翻訳を受け継いだ。1475年にローマ教皇の改暦の仕事のためにローマに招かれるが翌年完成前に急死。(Wiki)

 

レギオモンタヌスは1474年天文年鑑を出版する

レギオモンタヌスは机上の学問だけの人ではなく、ニュルンベルグにヨーロッパ最初の天文台を設けて継続的に観測にあたった他、印刷所を開設して自らの著書や翻訳書を出版した。そのうちの一冊が1474年刊行の天文年鑑で、翌75年から1506年まで1日ごとに太陽と月と当時知られていた惑星の位置、新月や満月、日食月食の時刻などが記載されていた。同種の本は古代からあったが、レギオモンタヌスのものは格段に詳しく正確であった。(399ページ)

 

プトレマイオスを含む多くの古典を翻訳し印刷

彼が自らギリシャ語を習得したのち、多くの(アラビア語の学者の論文を含む)貴重な文献を自分で筆写して、あるいは自ら翻訳し、あるいは綿密あの校訂を行ったのちに、自らの監督のもとで印刷に付し、誤りの極めて少ない版本や研究資料を提供したことであった。(中略)彼が完成させたプトレマイオスのハンドブックは「コペルニクスガリレイにとって教科書となった。一般にコペルニクスが出現した背景となると言及する事も少ない。(400ページより再構成)

 

コロンブスも航海にレギオモンタヌスの天文年鑑を持参

コロンブスはヴエネチアで1481年に印行された版を交換に携行し、到着した場所の位置を知るために使った。その結果を確認する格好の機会が月食であった。同書に記載された「始まりと終わりの時刻」を観測地点での時刻と比べ、その差によって本国との隔たりを算出するのだ。1504年2月29日の月食の記述を、コロンブスはジャマイカの原住民相手に別の目的にも利用した。月食の前日、食料の提供を渋る相手に向かって、その様な者は神が罰するであろう、明日の月を見ているがいい、と言って驚かせた。

 

グーテンベルグの活版印刷が知識の伝播を加速させた例

1455年グーテンベルグの活版印刷を発明してからわずか20年、天文学以外にも様々な分野で活用された事が推測できる。

 

蛇足

知は力。