毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

1972年のエルニーニョと異常気象が世界の仕組みを変えた~穀物市場の存在

 

世界史を変えた異常気象―エルニーニョから歴史を読み解く

田家氏は金融機関に勤める、気象予報士

 

今年も例年どおり気象庁からエルニーニョに関するプレスがあった。「エルニーニョ現象もラニーニャ現象も発生していない平常の状態が続いている。」

エルニーニョ

ペルー沿岸で南半球の初夏に当たる12月から夏にかけて日射により海面水温は上昇し、平年においてもペルー海流は弱くなり沿岸湧昇も活発でなくなる。スペインからの移民者の子孫であるペルー沿岸の漁師たちは、毎年12月に入って海面水温が高くなる現象をエルニーニョと呼んだ。12月に生まれた「神の子」イエス・キリストというのが名前の由来である。これに対し、ペルー沿岸の海面水温が4月になっても下がらない年がある。暖かい海水が太平洋の東川に居すわる状況が発生するのだ。

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エルニーニョは北半球中緯度まで影響を及ぼす

太平洋東部で発生するエルニーニョやラニャーラも、遠く離れた東アジアやインドなどのモンスーンに影響を与えるという意味でテレコネクションを引き起こす自然現象の一つである。

 

1972年のエルニーニョを例にとると~世界的な農業不振へ伝播

暖かい海水はペルー沿岸に満ちたため、乱獲で弱ったアンチョビの産卵は激減した。(中略)ペルーではアンチョビにこだわったため、1990年代にアンチョビが戻るまで漁業の低迷が20年間続いた。

 

1972年春に始まったエルニーニョが襲ったのは、ペルーの沿岸漁業だけではなかった。エルニーニョの発生とともに、テレコネクションにより全世界で干ばつ、低温、豪雨といった異常気象が始まった。干ばつはソ連、西アフリカのサヘル一帯、インド、中国、オーストラリア、ケニアで起きた。低温傾向は北米大陸東部と中央アジア、多雨となった地域は、南米大陸西側、地中海一帯、日本、韓国、ニュージーランドであった。ソ連では、ウラル山脈西側のヨーロッパ・ロシアから中央アジアにおいて、降水量が平年の半分となり、夏の気温は20世紀平均と比べて3.7度も高くなった。このため穀倉地帯であるウクライナの農業が大打撃を受け。ソ連の農業生産は予想された収穫量よりも13%も少なかった。(183ページ)

1972年の農業不振と今をつなぐもの~世界的穀物市場

異常気象により世界全体の食料生産は、1971年に次ぐ生産量ではあったものの、前年比1~2%下回る事になった。(184ページ)

その結果需要の拡大3%とあわせて5%程度の需給ギャップが発生。これがソ連が米国から穀物を大量買いつけする契機となり、今日の穀物世界市場の先駆けとなったと解説する。

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生産は右肩上がりでも、需給ギャップ5%の発生は世界的な弱者への飢餓まで発生させる。平成12年版科学技術白書[第1部 第1章 (2)]

 

エルニーニョからわかる事、

エルニーニョのメカニズムは解明されていない。またエルニーニョの発生の予知、あるいはシュミレーションも精度は上がってきているが今一つ。これからわかる事はエルニーニョは一連の気候変動サイクルの初期徴候である、地球の気象はモデル化できるほど簡単ではない、という事。そして我々の社会は予測不能な状態で、かつ不可逆的に、気象の揺らぎの影響を受ける。

 

蛇足

南米は今夏の終わり、水温が高くなるエルニーニョが実感できる。