デジタル化と書道、感情の記録メディアとして
書く―言葉・文字・書 (中公新書 2020) 石川氏は書家。
書は筆と紙の摩擦によって生じる
筆先が紙に触れ、書ができていく。そこに書かれているのは言葉であり、文字である。文字は単に点と線からなる図形ではなく、筆と紙の接点に生じる力ー筆蝕ーのダイナミックな現れなのだ。書は、できあがったかたちではなく、その過程を鑑賞する芸術とも言える。
隷書体ー中国漢の時代を象徴
隷書体が生まれるまでは、字は書かれた段階ではなく、刻まれた段階で初めて正式のものと考えられていた。漢字が生まれたときの甲骨文に始まり、金文、篆体までの文字は刻まれていた。筆で書かれた文字は、刻るための前段階の前文字であるか、省略体の文字であって、正式のものではなかった。ところがその後の時代になると、筆で書いた字が刻られた字の地位を奪っていく、その始まりが隷書体である。(49ページ)隷書体は、文字がそれまでの篆体から変化していく波磔(追記:はたく、終筆の部分の膨らみ)を備え、横に長い形状の文字を指している。これは漢代に文字の文明が東アジアに広がっていく、その姿、スタイルを象徴している。漢の文字すなわち隷書体によって、東アジアは文明化されていった。その文明化の姿が、横に長く伸びていこうという力のベクトルを象徴している。(70ページ)
書体の変化記~録メディアの変化の視点から
石川氏は「時代のスタイルを備えたものが書体」と説明するが、それと同時に記録メディアが石碑から紙に移った事により、毛筆の機能を活用した「波磔」が誕生したと理解。
書とは文字である~石川氏の結語
書は手にした筆記具の先端と紙(対象)との間の力のやりとりに生じた触覚を実体とする文字の筆画であり、文字もまた、その力動的、過程的触覚の結晶体とでも呼ぶべきものである。(書は)
文字である。書は裏側から見た文字である。書のスタイル(書体)は、裏返された文体である。文体こそが文章表現の真のありかであるとすれば書 は文体を暗示している。もんとうに深く書を鑑賞することができれば、文学を味わったのと同じ質の滋味を味わうことができるはずである。(183ページ)
書の今後~記録メディアの変化の中で
書が書き手の感情を写し取り、記録する事が可能であり、それを感じる事が書の鑑賞。記録メディアが毛筆と紙からデジタルな媒体に変わった時新しい書体、丸文字、絵文字、3D書道、が生まれる。
http://sakainaoki.blogspot.jp/2011/04/blog-post_17.html
蛇足
私は思考過程を今だ紙に手で記録。