毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

物理学と東洋の神、そして西洋の神

 

物理学と神 (集英社新書)

池内氏は天文学の研究家。

神の名による神の追放

著者は16-17世紀の近代自然科学の黎明期は神の名において神が地上から追放された時であり自然科学の追求が可能となった時代であると説明する。その前提条件として無限宇宙と多数世界の存在というパラダイムシフトがあり、これを論理的に示したのがニュートンである、と。(33ページから引用)

それでは無限宇宙は西洋だけの発想なのか?

 

無限宇宙の起源

(無限宇宙の)最も古いのが、後漢時代(二世紀)の郄萌(げきほう)の「宣夜説」で、天は形が決まっておらず、無限に広がっており、太陽・月・星は虚空に浮かんでいる。気によって進んだり止まったりしていると、述べたという。(晋書の天文志)宇宙の形を球形とか卵形とかと想像するのは、宇宙を有限と考える為で、無限に広がっていれば形はないというわけだ。この宣夜説を受け継いだのが唐の柳宗元(773-819)で、天は「無極」であり、中心も端もなく、どの方向にも限界はなく、したがって長短を比べようがない、というふうな無限の概念を表現している。(34ページ)

柳宗元ー唐の時代の政争に破れた高級官僚、そして詩人

若くして科挙に合格するも政争に破れ、柳宗元の政治生命は尽き、その後都を離れて僻地で一生を終える。その文学には政治上の不満ないし悲哀が色濃くにじみ、都を遠く離れた僻地の自然美をうたいながらも、どこか山水への感動に徹しきれない独自の傾向を持つ。(Wiki)

柳宗元の無限宇宙論と詩作

宇宙とは、いかなる主宰者もいない。宇宙は一元混沌の気「元気」で構成され、元気によって構成された宇宙は絶えず変化する。そして天の造物主はおらず、気の集積によるもので、元気は絶え間なく回転し丸いものだと言います。更に、昼夜交代も天門の開閉によるのではなく、太陽の運行の結果である。(人物50人で読む「中国の思想」より)

 

    千山鳥飛絶 / 万径人蹤滅 / 孤舟蓑笠翁 / 独釣寒江雪

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東京国立博物館 - コレクション 名品ギャラリー 館蔵品一覧 寒江独釣図(かんこうどくちょうず) 

中心=権威からの開放

中国で科挙に合格すれば帝の重臣として栄華を極められる。政争に破れ僻地に追いやられ都で活躍できなかった。私は柳宗元が「中心=権威に存在しない」事を日々痛感させられた、その環境が人間の価値を考え続けた詩作を残したと考える。ヨーロッパであれば神、中国であれば帝、が中心だった。

蛇足

人間原理にも中心を作ろうとする匂いを感じてしまう。人間はパターン、あるいは「中心」を認識してしまうものであるという前提が重要。