毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

どうして漢字は日本語の一部なのであろうか?

漢字を使っているのは中国・香港、台湾、そして日本である。漢字が中国由来である事は当然だが、日本語の一部である事が当然となっている。なぜ日本語の一部なのであろうか?

訓点が漢文を日本化させた。

訓読みとは読んだだけで日本語としての意味が通じる読み方。山(やま→大地が非常に高く盛り上がった状態)。訓点とは一言で言えば中国文を日本語読みする為のもの。

 

漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか? (光文社新書)  加藤氏は中国文学の研究家、加藤氏の説明を紹介する。

訓点の最古の史料は、奈良時代末期の「華厳機刊定記」巻五で、783年ないし788年のものとされる。これには返り点と句読点が書き込まれている。平安時代に入ると、「ヲコト点」や片仮名を交えたものも現れ始める。ヲコト点というのは、まだ「送り仮名」がなかった時代の、特殊な訓読表記方法である。漢字の隅ないし中心部に点を記入し、その点の位置によって「ヲ」「コト」「テ」「ノ」「ハ」「ナリ」など、送り仮名的な読みかたを示した。点の位置と読み方は、学者の流派や時代によって異なり、いわば「秘伝」であった。

訓点によって、日本人は、ほんらい外国語である漢文を、自国語の古典として読めるようになった。

過去に日本人が漢文に訓点を施して読んだことは、漢文が「外国語」である、という自覚を希薄にした。また、どんなに難解な漢籍でも、適切な訓点さえ施せば必ず読める、という自信を与えた。(84-87ページから再構成)

 当時の時代背景~年表(漢字が日本語化していく年表)

618年 唐による中国統一

663年 白村江の戦い

710年 平城京遷都

712年 古事記

720年 日本書記

749年 東大寺盧舎那仏像建立

759年 万葉集

 
華厳刊定記巻五f:id:kocho-3:20131203070309p:plain

http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/BN00326808/kamakura_23_130.pdf

 

華厳宗は当時東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)建立(749年)の思想的背景とされた仏教の宗派であり、これはその教典の一部分だとすると2行目「次我今下顕封尊卑己、離我慢故推功於佛」は「次に私は今から私の所にもたらされた、華厳経の仏典を中断する事なく布教していこう」と言った意味であろうか。

蛇足

「次我今下顕封尊卑己、離我慢故推功於佛」をGoogleでコンピュータ翻訳、

私は顕微鏡閉鎖階層の下に、これを持っていた時間は、遅いからので、私は仏教の電源をプッシュ」(原文まま)