毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

占星術師ケブラーの庇護者、ルドルフ2世

名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 (光文社新書 366)

 中野氏は西洋文化史の研究家。13世紀から1918年オーストリア・ハンガリー帝国解体までの650年欧州に君臨したハプスブルグ家、本書では彼らを描いた名画で物語を読み解く。12の名画の一つがルドルフ2世(1552-1612)f:id:kocho-3:20131127135951p:plain 

レオナルドとカラヴァッジョのはざまで ジュゼッペ・アルチンボルド : ルネサンスのセレブたち

ルドルフ2世が自身の肖像画としてイタリア人画家アルチンボルドに描かせたのがこの絵。中野氏は「魔術にはまった教養人」と評する。 

ルドルフ2世の両親は如何なる人物だったか?

兄カール五世から神聖ローマ帝国の称号とオーストリアを継承したフェルディナント1世(祖父にあたる)の悩みが、すでにもうプロテスタント問題であった。しかもまるで獅子身中の蟲のごとく世継ぎの皇太子(父にあたる)がルター派に共鳴しているというありさまで、王は息子を廃嫡するぞと脅さねばならなかった。イギリスではフェリペ二世の妻メアリー女王が、ブラッディ・メアリーぶえいを発揮して、プロテスタントたちの首を切りまくっている時代なのである。皇太子は表向き従順を装った。だが父王の逝去にともない、マクシミリアン二世として即位するや、帝国内の信仰の自由を認めるという挙にでて今度は自分の妻(母にあたる)と反目。

占星術師ケブラー 

当時は王侯貴族はもとより聖職者から下々の者たちまで、誰もが天使や悪魔の存在をリアルに信じていたのだ。天文学者と占星術師はほぼ同義語であり、占星術は大学での正規の授業であった。(中略)ルドルフ二世が庇護したもっとも有名な占星術師(=天文学者)はケプラーで、宮廷に召し抱えられた彼は、天体の運行に関する「ケプラーの法則」を発見したし、また皇帝の死後ではあるが、その名にちなんだ星表「ルドルフ表」も作成している。(115ページ)

 科学と迷信の混在した時代

天文学は宗教から離れる為に発展した、と言われる。父と母がプロテスタントとカトリックにわかれお互いに反目。時代背景と家族の物語を聞くと、ルドルフ2世が神の存在に代わるものを探求していた事がよくわかる。それを後世に人は科学と呼ぶ。