毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

1000年続いた試験~科挙の教訓

科挙とは

中国で598~1905年、髄から清の時代まで行われた官僚登用試験である。(WIKI)現在の国家公務員総合職試験に相当するものである。

 科挙―中国の試験地獄 (中公新書 (15))

宮崎氏は東洋史の研究家、1995年没。本書は1963年(!)出版。

中国の政治思想によると天子(皇帝のこと)なるものは天から委託をうけて、天下の人民を統治する義務を負わされたものである。しかし天下は広く人民は多いから、とうてい一人で統治することはできない。(中略)万人の中から公平に人物を採用する試験制度こそ最良の手段だ。こうして科挙が始まった。(8ページ)

本書によれば隋の時代に地方の貴族を抑え、中央政府による官僚予備軍を選抜する為に科挙が始まり、これが中央集権国家の基盤と融合した。その後宋の時代には科挙出身の政治家の活躍により文治政治の完成に役立ったと理解した。試験の内容は論語11,705字を始め「四書」「五経」の暗唱で合計431,286字に達する。

宋の時代に開花

宮崎氏は宋の時代を「生産力の増強、そしてそこからくる富の蓄積等である。あたかもヨーロッパにおける近世初期ブルジョワジーのような階級がすでに宋代には成立したのである。」(186ページ)と表現しこの時代に科挙が機能したと分析する。科挙は①誰でも受けられる、②公平である、事の利点が軍事の制御も含めた中央集権型国家の安定につながった。

科挙の欠点

一方科挙は「金のかかる教育をすっかり民間に委譲して、民間で自然に育成された有為の人物を、ただ試験を行うだけで政府の役に立てようというものである。(中略)中国の教育制度は今から千年ほども前の宋代を頂点とし、以後はだんだん下り坂となって、衰退の一路を辿るのみであった。」(203ページ)「そこへ(清朝末期)押し寄せたのがヨーロッパの新文明である。ヨーロッパの文明は学校でなければとうてい教育できない自然科学、実験、工作の要素を含んでいる。そこで清朝政府もついに兜をぬいで、1904年を最後の年として以後は科挙を行わなぬことに定めた。」(6ページ)

日本と科挙

日本では、平安時代に導入が試みられるが江戸時代まで官職の世襲制化が進み、科挙が日本の歴史に及ぼした影響は少なかった。「維新政府は1872年、学制を発布し、次々に学校をたてて欧米にのっとった新教育を始めた。以後の急速な日本の発展はこの新教育制度に負う所多大である。」(204ページ)「日本の試験地獄の底には、封建制度に近い終身雇用制度が横たわっており、これが日本の社会に真の意味の人格の自由、就職の自由、雇用の自由を奪っているのである。」(216ページ)

 

教育制度・コンテンツの日常進化

日本の教育問題を考える時、科挙の問題点がそのまま当てはまる。宮崎氏が本書で50年前に指摘をした事を重く受け止めたい。科学の進化が進む今日、「教育制度、試験制度は常に過去の追認となり、教育制度とコンテンツの日常進化が必要」、という当たり前の事に本書は気づかさせてくれる。

 

蛇足

試験生が試験会場の個室に持ち込んだカンニング下着。(巻頭口絵)

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