毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

ノーベル賞と北里博士

今年もノーベル賞候補の季節になった。

 北里柴三郎の生涯―第1回ノーベル賞候補

第1回ノーベル・生理学医学賞は、ドイツの最近学者であるエミール・ベーリングに授与されているが(1901年)、受賞理由は「血清療法、特にジフテリアに対する血清治療の研究」における業績だった。あまり知られていないことだが、実はベーリングのこの業績は、彼と同じロベルト・コッホの弟子で、先輩に当たる北里柴三郎との共同研究に基づいているのである。しかも北里はその前に、その研究の前提となる「破傷風の免疫血清療法」という革新的な研究を成し遂げていた。従がって、ノーベル賞はベーリングよりも北里に与えるべきが妥当だということができるのである。(まえがきⅱ)

後年コッホは次のように話をしている(明治41年)「そのころはまだ伝染病に対する原因療法は一つもなかったのであるが、実に北里の研究によって血清療法が創始されたのである。(以下後略、24ページ)

  今から100年以上前、1942年ペニシリンが実用化されるまで、伝染病は今以上に人類の脅威であった。その最先端で成果を出した北里博士は素晴らしい。一方その成果は既に旧世代のパラダイムであり、その意義を論ずる事には意味がない。北里博士の最大の業績はそのキャラクターによって当時最先端の医学水準であったドイツと日本、北里氏博士の応援者と次世代の間をつなぎ、そして北里研究所や慶応大学医学部の創設に貢献した事だ。

 北里氏の応援者、指導者:福澤諭吉、森村左衛門(森村財閥)、コッホ

 北里氏の次世代:滋賀潔(赤痢菌)、野口英世、秦佐八郎(梅毒化学療法)

滋賀氏の回想録に北里博士は「発見の手柄を若造の助手一人にゆずって恬然としておられた」(88ページ)、「豪快、細心、涙もろさが同居した雷親父」(176ページ)だった様でキャラクターという言葉は北里博士の「真剣さ」と言い換えたい。一人の人間が真剣に動いた時、連鎖が生まれ、それが今につながっている事が認識できる。