毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

イランと米国 中東の考え方

米国とイランが1979年以来30数年ぶりに両国大統領による電話協議が行われたと報道された。

 <中東>の考え方 (講談社現代新書)

酒井氏は現代中東政治史の研究家。そもそも中東とは何か?

 ・日本人にとって「中東」が地理的に「東」ではないのに「東」と呼ばれるのは、大英帝国がそのアジア進出の過程でこの地域をMiddle Eastと、呼んだ、その直訳だというのは知られている。この単語が出てくるのは、1902年にアメリカの戦略理論家マハンが、大英帝国の戦略拠点としてのペルシャ湾岸地域を指して使ったのが最初だ。(31ページ)

「皇帝」を意味するシャーによって統べられたイランは、その石油資源をはじめとして長らくイギリスの間接的支配を受けてきた。第二次大戦後、イギリスが中東から退場したあとは、アメリカがその後見役を引き継いだ。7420万人という人口規模(2008年)や、日本の約4.4倍という国土の大きさ、世界第二位ないし三位の石油埋蔵量など、最も潜在的な可能性を持つ地域大国だから、この国を同盟国として西側に引き止めておくことは需要なことだった。(142ページ)

ところがその盤石と思われたシャー体制が、1979年、イラク革命で倒れてしまった。(中略)アメリカの内政干渉に対する不満、シャー政権の弱者切り捨てや独裁体質に対する実質的な民族独立革命だったといってよい。(145ページ)

酒井氏はイスラム諸国と米国の対立を「記憶のかなたに忘れ去られようとしている冷戦の時代に(中略)米国がイスラームという宗教的要素を利用した形で展開された。」(126ページ)と論ずる。酒井氏は中東、イラクで現地調査等の経験もあり単純に中東を研究対象として分析するのではなく、人々が今も生活をし、2500年に歴史を持つペルシャ帝国の歴史的文化的背景をも織り込みつつ暖かい目で進めている事にほっとさせられる。

蛇足

中東を知る事はイスラエルを知る事。第二章パレスチナ問題とは何か、も面白い。