毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

我々の社会は未だ直系家族的であった~『エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層 』鹿島茂氏(2017)

エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層 (ベスト新書)

 鹿島氏はフランス文学者、あらゆる問題は、トッドの家族システムという概念で説明ができる!(2017)

 

トッドの家族人類学理論

・・・結論から先にいうと、トッドの家族人類学理論の勘どころは、従来、家族の分類としては核家族と大家族(夫婦が2組以上同居する複合家族・拡大家族)という区別ポイント(変数)しかなかったところに、兄弟間の遺産相続という問題に注目して、兄弟の平等・不平等というパラメータを配した点です。(23ページ)

 

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https://mainichi.jp/articles/20160229/ddf/008/040/031000c

私がトッドに興味を持ったきっかけは「集団の無意識」というものへの関心からでした。・・・資本主義が発展していくと、(集団の)眠りは深くなり、集団はそのなかで夢をみる。それは集団の無意識としてさまざまな形態となって現れる。たとえば、パサージュ 、万博会場、鉄道駅あるいはモード、広告など。だから集団の無意識」を解き明かすには、こうした夢の形象について考えなければならない。・・・(最終的に)たどり着いたのが人口動態学でした。人口にこそ集団の無意識が最も強く現れていると確信・・・トッどに行き着いたわけです。・・・家族類型、女性識字率、といったトッドの提示する概念こそが人類の無意識を解く最も重要なパラメータだと今は思っています。(35ページ)

集団をつくると直系家族的組織になる日本人

日本人は集団をつくると必ず直系家族的な構造にしてしまいます。後からそうした集団に入る人間は、すでに構造ができあがっていますから、合せていかなくてはなりません。この「後から入った」という感じがすでに直系家族原理に無意識にとらわれている証拠です。会社では「きみ、何年入社?」「ぼくと同期?」というような会話がしばしなされます。(82ページ)

明治維新と直系家族的組織

国家を統一し、政治を長く安定させていくためには、よく統率された組織が必要となる、と彼ら(明治維新の指導者)は考えたのでしょう。そのためには、直系家族的なタテ一本の構造をつくり、その頂点に、権威ある父親的な存在(としての天皇)を置かなければならない、と考えたのです。(167ページ)

直系家族的組織の欠点

直系家族では父親に権威があるということになっています。しかし、この権威ある父親はほとんど主体的な意思決定を行わないのです。・・・権威者である父親の意をくんで、はやりの言葉でいえば「忖度して」、それぞれの成員がその意を実現する方向に向かって一斉に行動するのです。・・・このような意思決定者の不在、意思決定機関の不能という事象は、いま現在の日本でも至るところで目にすることができます。(178ページ)

 

エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層

どうしてフランス文学の鹿島氏がトッドを研究していたのか?元々集団の無意識に関心があり人口動態学に行き着いたと知り、合点がいく。

日本では核家族化し直系家族的組織の影響は薄くなっている、と思っていた。大企業では年功序列という直系家族的組織を残しつつも、どちらかと言うと批判的に捉えられ、社会全体としては直系家族的組織の行動は薄くなりつつある、と思っていた。考えてみれば学校までが直系家族的組織で運営されており簡単にはその影響は無くならない。鹿島氏は直系家族的組織と意思決定能力の欠如が加わったときのリスクにも言及する。

核家族化が進んだとしても、社会全体としてみれ直系家族的組織の影響が大きく、大きなリスクを内包している、と気付く。

蛇足

直系家族で権力を持っているのは妻

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全知全能の神は人間を理解できるか?~『神は沈黙せず』山本弘氏(2003)

神は沈黙せず

 この世界は、人類は「神」と呼ばれる知性体のシミュレーションなのではないか?(単行は2003、文庫は2004)

 

本書はSF、ネタバレになるのでストーリー等は割愛します。本書では全知全能としての神と人間の関係、AIを作った人間とコンピュータ、あるいはAIとの関係の相似性についての説明がある。

人間とコンピュータあるいはAI

コンピュータは人間と何から何まで違っている。血の流れる肉体も、種族維持の本能も持たない。・・・その反対に、毎秒何兆回もの演算をこなすというのはどういう感じなのか、人間には想像もつかない。コンピュータが知性を持つとしたら、人間のそれとはまるで異質なものになるのは間違いないだろう。だから(人間の知性に立脚した)チューリングテストは知性の判断基準にはならない。(170ページ)

神と人間

・・・神は天や地や人間や動植物を創造したかもしれないが、だからと言って尊敬に値しない存在である・・・神には人間に対する優しさや思いやりが根本的に欠落している・・・なぜなら神は人間ではないからだ。全知全能ではあるが、たったひとつ、人間の苦しみや悲しみを理解し、同情の念を抱くことだけはできないのだ。

それは死すべき肉体を持つ人間だけが理解できることだから。(492ページ)

神は罪を犯さないか?

神が全能であるなら、欲望に負けて衝動的に悪事を働いたり、間違って罪を犯してしまうことはあり得ない。・・・神が全能であり、自由意志があるなら、神には罪を犯す能力も、罪を犯す意志もあるはずではないか。「神は罪を犯さない」という考えは、神の全能性を否定するに等しい。(121ページ)

 神は沈黙せず

西洋圏では神の全知全能についての神学的あるいは哲学的解釈については一般的なのかもしれない。私は本書で初めて神の解釈をめぐる議論の一部を知ることとなった。

全知全能の神と人間、それぞれの存在が違い過ぎてお互いに本質的な理解に至ることはない。仮に“神が沈黙ぜず”に人間に対しメッセージを与えているとしても我々がメッセージを理解することはおそらくできない。それはコンピュータあるいはAIが本質的に人間を理解できないのと同様である。

神にも、コンピュータにも頼ることのできない人間は、不合理なことのある世界でどうすればいいのか?

本書で「自分が間違っている可能性を探すこと。それが道を誤らないための唯一の方法です」(280ページ)というセリフがある。人間は、あらゆる権威に依存することなく、自ら道を切り開らいて生き残ってきた。

蛇足

神は沈黙せず、人は神の言葉を理解する必要はない。

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太陽がある限り進化は終わらない~『情報と秩序:原子から経済までを動かす根本原理を求めて』C・ヒダルゴ氏(2017)

 情報と秩序:原子から経済までを動かす根本原理を求めて

セダルゴ氏は複雑系経済学の研究者、経済成長とはそもそも情報成長のひとつの表われにほかならない(2017)

情報とは

・・・本来情報は物理的なものだ。・・・確かに、情報は触れない。固体でも液体でもない。情報の粒子があるわけでもない。それでも、同じく固有の粒子を持たない運動や温度と同じくらい物理的なものだ。情報は実体を持たないが、いつでも物理的に具象化されている。情報はモノではない。むしろ、物理的なモノの「配列」、つまり物理的秩序といえる。たてるなら、一組のトランプを様々な方法でシャッフルした状態と同じだ。(20ページ)

地球は非平衡

地球は平衡に向かってまっしぐらに突き進む巨大な系―つまり宇宙―の内部にぼっかりと存在する、非平衡のポケットだからだ。実際、地球はいかなる平衡にも近づいてこなかった。地球の核の内部で起きている核崩壊と太陽のエネルギーが、地球を平衡から引っ張り出し、情報が生まれるのに必要なエネルギーを与えている。いわば地球は、宇宙という不毛の荒野のなかにある小さな情報の渦なのだ。(60ページ)

情報の成長

私たちの宇宙はいくつかの秘策を用意している・・・「非平衡系」、「固体での情報の蓄積」「物質の持つ計算能力」だ。人体や地球のように、情報がひっそりと身を隠せて成長していけるような小さな島やポケットのなかでは、この3つのメカニズムが連動して情報の成長を促している。

つまり、物理、生物、社会、経済のあらゆるものの成長の方向性を決めるのは、情報の蓄積、そして人間の情報処理能力の蓄積なのだ。・・・生命の誕生と経済の成長、複雑性の出現と富の創造をひとつに結ぶもの―それが情報の成長というわけだ。(26ページ)

経済成長とは何か?

・・・私たちが必死で解決しようとしている社会や経済の問題は、いかにして人間のネットワークに知識やノウハウを具体化するか、という問題なのである。そうすることで、私たちは人類の計算能力を進化させ、最終的には情報を成長させているのだ。つまり経済の本質である情報の成長は、人類が持つ集団レベルでの計算能力と、(人間の)想像の結晶(たるモノ)がもたらす増強効果との共進化によって生まれる。(230ページ)

 

情報と秩序

宇宙はエントロピーが増大し混沌に向かっている。しかし地球は太陽エネルギーによって一貫してエントロピーが減少、秩序が維持されている。著者は経済活動も生命活動も秩序がより整理され、複雑な構造が生じていく方向に変化していくと言う。その中心にあるのは情報であり、情報を閉じ込めた物理的な固体である。一人の人間が保持できる情報の量は限られているなか、多くの人がネットワーキングすることで集団としての情報処理能力は上がっていく。

この説明に従えば、経済成長は情報の交換スピードと交換対象をどうやって高めるか、これを一定期間継続できる主体の存在、ということになる。情報レベルで捉えると、地球、国、企業、家庭、様々なレベルでの集団の拡大は同じパターンで説明がつきそうである。

蛇足

太陽エネルギーを受容している限り、地球は進化を続ける

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そもそもビジネスとは冒険の旅、である~『 ザ・会社改造 340人からグローバル1万人企業へ』三枝 匡氏(2016)

 ザ・会社改造 340人からグローバル1万人企業へ

 上場企業のCEOに就いてから12年間もの長期にわたり実行した「会社改造」すなわち「改革の連鎖」を追っている。社員わずか340人の超ドメスティックな商社が、いまやグローバル1万人に迫る、世界で戦う企業に転換するためには何が必要だったのか。(2016)

40歳から事業再生専門家へ

私は20代から一貫してリスクをとり続け、時代を10年か20年、人より先取りする職業に挑戦し続ける生き方をしてきた。もちろん、そのなかには失敗作も含まれている。(12ページ)

40歳に到達した時点で、戦略コンサルタント、事業会社2社の社長、ベンチャーキャピタル会社社長という経歴を積んでいた。・・・日本で「ターンアラウンドスペシャリスト(事業再生専門家)」を名乗ったのは私が最初だと思っている。・・・当事者が追い詰められ、ギブアップしかけている事業をどうすれば元気にできるのか。その窮状から救うことを、職業に選んだのだ。依頼を受けた会社の副社長や事業部長に就任し、会社の内側から改革を推進するという仕事のスタイルだった。(14ページ)

ミスミの経営を引き受ける

・・・私はミスミの経営を引き受けることになる。就任後にミスミで数多くの改革を実行した。そのひとつひとつが苦難の連続だった。結果的に、CEO在任12年間で、ミスミは「会社改造」と呼べるほどの変貌を遂げた。(11ページ)

私は在任12年間でミスミのCEOから引退した。売上高が就任時の500億円から2000億円に近づき、340人だった社員数がグローバル1万人を視野に入れたところで、個人的にはまだ元気いっぱいだったが自分の役割を終わらせることにした。(439ページ)

本書をなぜ書いたのか?

私がミスミの社長就任を断り、別の会社でCEOを引き受けていたら、そこでも大きな改革を実行し、その経験をCEO退任後に出版した可能性がたかい。その場合、その本と本書のいずれを読んでも、読者が学びとる理論はかなり重複するだろう。「どこの会社に行っても同じ」。それが経営や戦略の「普遍性」である。(24ページ)

ザ・会社改造

三枝氏はミスミのCEOとして改革と大きな成長を達成した。その背景にはグローバル企業が経営スピードを上げているのにミスミが日本社会に適合してきた故に低成長に陥る大きな危険性に直面していたからである。

三枝氏は「難しい任務に自ら近づいていってジャンプすることが、人生の学びを極大化してくれる」(412ページ)と常に言っているそうである。本書は三枝氏の12年に渡るジャンプの連続の記録であり、またミスミという会社に関わった人々のジャンプの記録でもある。

そもそもビジネスとはチャレンジであること、を思い出させてくれる。

蛇足

本書はビジネス書の名を借りた冒険ストーリーである。

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日常生活に意識は要らない~『ハーモニー 』伊藤計劃(2010)

 ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

 本書はSFフィクション、21世紀後半、〈大災禍(ザ・メイルストロム)〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、 人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。 医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、 見せかけの優しさや倫理が横溢する“ユートピア"。(単行は2008、文庫は2010)

 

帯に「理想郷に倦んだ少女たちは、世界の終りを夢見た」。人間が理想郷に住む時、何を感じるのだろうか?本書では人間の報酬系を制御する脳の機能のモデルがストーリーを支えてる。(ストーリーは触れていませんが、“ネタバレ“注意)

人間の意志とは会議のようなもの

・・・人間は、この報酬系によって動機づけられる多種多様な欲求のモジュールが、競って選択されようと調整を行うことで最終的に下す決断を、『意志』と呼んでいるわけだ。・・・いろんな人間がアレやりたいコレやりたいとそれぞれの求めるものを主張し合い、煮詰めて調整し、結論を出す。人間が持ついろいろな『欲望のモジュール』てのが、その会議二参加して自分の意志を主張するひとりひとりだと思ってくれ。・・・そうやって侃々諤々の論争を繰り広げる全体、プロセス、つまり会議そのものを指すんだ。意志ってのは、ひとつのまとまった存在じゃなく、多くの欲求がわめいている状態なんだ。(170ページ)

もし参加する者の意見が一致していたら?

会議に参加する者の意見がすべて同じで、相互の役割が完璧に調整されていれば、会議を開く必要そのものがない。・・・完璧な調和を見せた状態とは、すなわち意識のない状態であるということが実験の結果わかった。・・・調和のとれた意志とは、すべては当然であるような行動の状態であり、行為の決断に際して要請される意志そのものが存在しない状態だと。完璧な人間という存在を追い求めたら、意識は不要になって消滅してしまった・・・(264ページ)

ハーモニー

全員の意見が一致する社会、完璧にハーモニーのとれた社会、そこには人同士の争いは存在しない。それではその時人は意識を持つと言えるのだろうか?

この極端な想定から日常生活の倦怠が浮びあがってくる。予定調和の比重の大きな社会であればあるほど意識を使う必要がない。日常生活は自動操縦できてしまうのである。意志を必要としない自動操縦できるが故に楽なのである。意識を必要としないことが悪い、のではないであろう。それでは永遠に意識を必要とする事態に直面しないでいいのであろうか?

完璧なハーモニーという極端な想定が、大きな問題に気付かされてくれる。

蛇足

人は自動操縦だけでは満足できない

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牛丼1杯の原価って、いくらか知っていますか?~『吉野家で経済入門』

 吉野家で経済入門

 「牛丼1杯の原価って、いくら?」企業秘密をそんなに明かして大丈夫ですか!?(2016)

2014年、熟成肉登場

一言で言えば「寝かせる」ということですね。・・・時間をおくことでタンパク質がアミノ酸のようなうまみ成分に変化するからです。

今まで、僕らは冷凍牛肉を使って、2~3日で回転するようにしていました。これを2週間、冷凍庫から冷蔵庫に移して寝かせれば、アミノ酸の値が増し、しかもペプチドという成分が増えて酸味が抑えられ、よりおいしくなることはwかっていました。ただ問題は、量なのです。・・・例えば1日に20トンの牛肉を使うとすると、2週間で280トンになります。・・・複数の営業冷蔵庫の取引先にご協力いただけて、2週間保管することが可能になりました。(39ページ)

熟成肉に変えるきっかけ

牛丼並盛の定価を280円から300円に引き上げたことですね。ちょうど消費税率が5%から8%に引き上げられるタイミングで、それだけなら290円にすればお釣りがくるぐらいですが、・・・300円台に乗せたい思惑があった。だから、合せてクオリティアップに取り組んだということです。・・・逆に言うと、商品開発の現場はもともと牛肉のクオリティアップ、つまり熟成肉のアイデアを温めてはいたんです。(41ページ)

値上げを浸透させるには?

(牛丼の価格を20円値上げした)ダメージがどれくらいあるか心配でした。・・・クオリティを上げるにはどういう手だてがあるか、・・・牛肉の「熟成」もその一つ。あるいはたれの素材の質を上げたり。・・・価格を上げる際に、メッセージとして伝えたんです。・・・実際、値上げの影響はほとんどなかったですね。客数のダメージはゼロではないでしょうけれど、ほとんど見えなかった。(136ページ)

価格を上げることはたいへん

「価格を下げることはある意味で簡単なことだ。低価格に対応するような仕組みの変化を実現すればよい。しかし、価格を上げることはたいへんだ。顧客に納得してもらわなくてはいけない」(137ページ)

吉野屋で経済入門

本書は2016年の発行、吉野屋が2014年に牛丼を値上げした経緯が当時の安部社長より克明に解説される。競合の値下げにより380円から280円へ値下げ、そして300円(現在は380円)へと値上げを行った。わずか2年前のことである。値上げをするには顧客が納得できる理由が無くてはならない。当たり前だが理由はより良い商品を提供すること、でしかない。

安倍氏は創業者松田氏の言葉「今は過去」という表現で吉野屋の価値観を説明する。松田氏は同業他者にもどんどん企業秘密を教えていたという。仮に他社が真似ても、吉野屋は先に行っていけばいいと言っていたそうだ。本書もそれに倣った様に、吉野屋の内幕が書かれている。

競合を見るのではなく、顧客を見る。競合を真似るのではなく、自分たちの価値観をつくり出し、それを顧客に提供する。企業という一つの組織が一つの価値観を追求したとき、そこに大きな価値が生まれる。

蛇足

牛丼の原価率は40%(ここまで書くか?)

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なぜ人は芸術を崇めるのか?~『芸術崇拝の思想―政教分離とヨーロッパの新しい神』松宮秀治氏(2008)

芸術崇拝の思想―政教分離とヨーロッパの新しい神

芸術崇拝がヨーロッパでいかにして生まれ、どのように広まっていったかを、近代国民国家の政治原理である政教分離とからめて論じていく。(2008)

宗教と芸術の交代

政教分離とは18世紀後半から19世紀にかけて、国家と宗教の対立が激化し、歴史上かってなかった新しい政治と宗教の関係がうみだされていくなかで両者の和解が不可能となったとき、教会の側が「キリスト者の自由」を守るためにみずから国家への関与から身を引いたことである。・・・政教分離とは国家の政治的な力による国家機構からの宗教の排除のことではなく、むしろ宗教の方が国家に取り込まれることからみずからの「信教の自由」を守ろうとした結果だったということである。そしてキリスト教が国家権力から離反した空隙を埋めるために、近代国家によって生み出されたのが「市民宗教」(社会的宗教あるおいは国家宗教)であり、新たな「神」というより「神々」として祀られたのが「芸術」「歴史」「文化」「科学」である。そしてそれらの神々を祀る新しい国家神殿がミュージアムなのである。(55ページ)

18世紀末から19世紀初頭にかけてヨーロッパでは宗教と芸術の位置は完全に逆転する。宗教は個々人の内面に慰安、今日のわたしたちの言葉でいえば「癒し」の領域にとりこまれ、代わって「芸術」が市民社会の公共の典礼となる。(28ページ)

 芸術が自律化するということ

芸術が自律化すると、芸術の制作と評価規準が「創造性」「独創性」「個性」というものになる。ヨーロッパの伝統において「創造する」(cration)という言葉は神のみの属性を表す語であって、世界の聖なる創造ということを明確な背景として使われてきた。(64ページ)

・・・自律的な価値を与えられるというということは、・・・「芸術家」とは理念的にはみずから神となって、自己の作品を通じて、歴史と社会がいまだ発見しえなかった新しい価値を創出する「創造者」となることである。

芸術至上主義

西欧中世のキリスト教社会で「わたしは神なんて信じてもいませんし、また存在するとも思っていません」と公然といえなかっただけでなく、家族間でもまた恋人や許嫁のあいだでさえもいえなかったはずだ。「芸術」否定論が公然と表明されないのは、それが近代の「神」だからである。(222ページ)

はっきり言ってしまえば、芸術などわからなくとも人生にとってなんの損失でもなく、また損失だと思わない人の存在していることに気付こうともしないし、また気付かない態度である。ここには芸術がわからない者は「俗物」であるという抜き差しならぬ西欧の「芸術」の思想の伝統に犯されている・・・。(235ページ)

 

芸術崇拝の思想

松宮氏は西欧社会のつくり出した「芸術」はせいぜい200年の歴史しかなく、普遍性のあるもの、ではないと言う。西欧社会で大きな位置を占めてきたキリスト教が後退、「芸術」がキリスト教の地位にとって代わったという。芸術が神になったのである。芸術作品に何十億円という価格が付くのも芸術が神、だからであろう。

西欧社会のルールで生きる我々もまた芸術至上主義に浸されている。この芸術至上主義を外してみたとき、芸術にどういう価値を見いだすのであろうか?

蛇足

 

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