毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

誰も、組織を100%所有してはいけない~『 歴史からの発想―停滞と拘束からいかに脱するか 』堺屋太一氏(2004)

 歴史からの発想―停滞と拘束からいかに脱するか (日経ビジネス人文庫)

 堺屋氏は経済官僚出身の作家、中国史に学ぶ「勝てる組織」の作り方(単行は1983年、文庫は2004)

モンゴル帝国

モンゴル帝国の出現は、世界史上、おそらく最大の大事件であろう。この帝国は最盛期において史上最大の版図をもったばかりでなく、その支流は19世紀まで各地に残存したのである。(197ページ)

画期的な発想の結果として世界帝国が生まれたというよりも、むしろ世界帝国をつくろうという強い一貫した意思が、・・・(大量報復戦略、秘密警察、宗教の自由という)画期的発想を生んだのだということである。(221ページ)

明確な単一の目標~勝てる組織①

ジンギス・カンのモンゴルは「勝てる組織」の典型であることは、誰しも認めざるを得ないだろう。・・・そこから逆に「勝てる組織」の要件を考えると「明確な目的を持ち、構成員がそれをゆるぎなく信じている組織」だということになるだろう。・・・モンゴル帝国は、軍事的勝利という明確な単一の目的を持った組織だった。また、その目的を何よりも大事なものと、当時の蒙古人はゆるぎなく信じていた。(226ページ)

既成概念との闘い~勝てる組織②

組織の構成員が、明確な単一の目的をゆるぎなく信じるために最大の障害になるのは、既成の権威であり、常識的な概念である。したがって、「勝てる組織」をつくるには、その妨害となる既成の権威と常識的概念を構成員からいかにして取り除くかが重要な課題になる。(236ページ)

勝てる組織論~勝てる組織③

組織論は「(たとえばジンギス・カンの様な天才的リーダーである)人材に頼らず組織を強化するための学問」(ベルギーナ)である。・・・その第一は、いわゆる権威と権限の分離である。権威と機能は必ずしも一致しない。特に、技術や社会情勢の変化が著しい世の中ではそうでる。「権威は過去によってつくられるが、適性は絶え間なく未来に進む現在によって決まる」からだ。・・・(組織論的に観て)権威と権限の分離というのは、最も難しい分業だ。なぜなら、権威と持って権限を持たない、あるいは権限を持って権威をもたないということは、人間の本性に反するところがある。・・・「権威を欲せず権限に尽くす」-これをベルギーナは「匿名への情熱」と呼び、それこそが組織人の使命だとした。そして、それを掻き立てるように仕向けられる組織こそ、最上の組織だと言う。(244ページ)

組織のメンバーの目標

「組織の目的を達成することに幸福を感じる者だけが、よく組織を強化できる。それ故、強い組織は集団的な錯覚の中にこそある」(8ページ)

 

歴史からの発想

堺屋氏はモンゴル帝国が史上最高に成功した帝国であるという。モンゴル帝国は世界の東西を統合し、東西間の移動が容易になった。ジンギス・カンは天才であったが、それでは天才でなければ組織化はできないか?堺屋氏は権威と権限の分離が肝である、という。権威と権限が分離することによって組織の目的だけを追求することが可能となるという。それでは権威と権限を分離させるにはどうしたらいいのか?どうしたら権威が空洞化せず、権限は権威を要求ないで済む組織を設計できるのか?チンギス・ハンの様な天才に依存しない組織は機能しえるのか?残念ながらこの答えは一つではない。

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未来の記憶を作るには、、~『シナリオ・シンキング―不確実な未来への「構え」を創る思考法』西村 行功氏(2003)

シナリオ・シンキング―不確実な未来への「構え」を創る思考法

基礎となるシナリオ思考法、すなわちクリエイティブ・シンキングとロジカル・シンキングを統合した思考法が具体的によくわかる。(2003)

 

未来は不確実

環境は常に変化を続け、時に大きく不連続に動く。戦略の寿命は短くなり、当初考えていなかったような戦略も採用せざるをえない。しかも、その戦略を短期間のうちに組織の人々をうまく巻き込みつつ遂行・完了し、次の変化に備える必要がある。(7ページ)

未来は帰納的であり、意思決定の合理性は限定的である

帰納的思考法とは)過去に見られなかった新しい特徴の存在に気づき、過去・現在と不連続な「未来の文脈(コンテクスト)」をどう見つけ出すかということだ。・・・(限定的合理性とは)「どうやって経験則的な罠-単純化されたルール‐に陥らずに、限定的合理性の『限定』の枠を拡大し続けられるか」ということである。(79ページ)

未来の記憶を作る

この「記憶」というポイントは重要である。人間は記憶に基づいて意思決定を行う。通常は、過去の記憶である。しかし、不確実性が高まり、未来が不連続であれば、この記憶はかえって足枷となる。・・・不連続な未来を記憶することで、過去の体験に基づかない意思決定を組織として行っていく必要がある。・・・実際のコンサルティング経験から言って、シナリオが有効に「組織の記憶」として使える時のシナリオ数は3~6程度である。・・・重要なのは、「精緻化された数多くのシナリオ」ではなく「シンプルで不確実性が最大限織り込まれた、十分幅のあるシナリオ」なのである。(29ページ)

シナリオ・シンキング~不確実な未来を「構え」を作る思考法

西村氏はシナリオ・シンキングとは「未来の記憶」を作ることであると表現する。インプレッシブな表現である。過去の記憶に囚われていたのでは未来は限定的になってしまう。未来のシナリオ、それも成りたい会社、成りたい自分を想定してシナリオを作る。作ったシナリオを明確に記憶に焼き付ければそれは過去の記憶と区別がつかない。未来の記憶が、我々の行動を後押ししてくれる。

本書はシナリオ・シンキングを事業計画へ導入するための実務書である。本書は実務書の範疇を超えて、成りたい自分になれる方法を教えてくれている。

未来の記憶を作る、とはリアリティのあるシナリオを作りそれを自分の記憶にしっかい焼き付けておくことである。

脳みそは、その記憶を過去本当にあったことか、作られたシナリオなのか、区別がつかない。我々は未来の記憶を参考に行動することができる。

蛇足

未来のシナリオに必要なことはリアリティ

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ハイテク企業に重要なのは技術か、マーケティングか?~『インテル 世界で最も重要な会社の産業史』M・マローン氏(2015)

インテル 世界で最も重要な会社の産業史

  半導体の集積密度は18~24ヶ月で倍増する」つまり「コンピュータの処理能力は指数関数的に向上していく」、1965年、インテルの創業者であるゴードン・ムーア博士が発表した論文に書かれていた半導体の能力に関する洞察は、「ムーアの法則」として、今日にいたるまで、情報産業にかかわるものが、逃れらない法則となった。(2015)

 

1991年、”インテル・インサイド” キャンペーン開始

「われわれが目指すのは、コンピュータの中でプロセッサを最も目立つ存在にすることだ。プロッサは本当に重要だが、ユーザーには見えない。ユーザーはプロセッサのことなど何も知らない。インテルのことも知らない。どうすればできるだろう?」・・・キャンペーンが始まった当時、インテルはエレクロノクス業界でしか知られておらず、一般の人々の認識は(創業者の)ボブ・ノイスが経営していた会社というものだった。だが9年後の21世紀が始まる頃には、「インテル・インサイド」のおかげでインテルコカ・コーラに次ぐ世界で二番目に有名な企業ブランドとなっていた。(471ページ)

インテルCEO(当時)のグローブの狙い

インテル・インサイド」キャンペーンは1990年代を通じて続き、投じられた費用は5億ドルに達した。マーケティング予算としてはP&GやGM並みで、エレクトロニクス業界っではおよそ累計はなかった。・・・(CEOのグローブ氏は)歴史的勝利によって独り勝ちの状態をつくりだし、業界のそれまでの流れを断ち切ってライバル企業が対抗する手立てさえ見いだせないようにするつもりだった。・・・ライバル企業はもはやゲームオーバーだと悟った。・・・インテルは未来永劫、マイクロプロセッサ戦争の勝者の座を確定したのだ。(472ぺージ)

インテル・インサイドの前哨戦~レッドX

(1989年、レッドXという新しいPC用マイクロプロセッサのプロモーションのために)それまでは(PCの)OEMメーカーだけを相手にマーケティングをしてきたが、このとき初めてパソコンユーザーに直接語りかけた。・・・インテルは大きなリスクをとることにしたわけだが、リスクのとり方は慎重だった。つまり「レッドX」キャンペーンを全国展開する前に、まずはコロラド州デンバーでテストをしたのだ。その結果が非常に良かったため。グローブは全国展開にゴーサインを出した。・・・大企業では珍しく経験から学ぶことのできるインテルは、レッドXキャンペーンから二つの重要な教訓を得ていた。第一に情報を詰め込んだ、どこまでも現実的な半導体業界の広告パラダイムはもはや通用しないことだ。高級消費財のような洗練された効果的な広告キャンペーンを成功させることも可能なのである。第二に半導体チップメーカーは、エンドユーザーに対するマーケティング消費財や工業品を製造する顧客に任せきりにする必要はないということだ。(470ページ)

インテル~世界でもっとも重要な会社

著者のマローン氏はインテルを「ムーアの法則」の番人という役割を引き受けている故に“世界でもっとも重要な会社”であるという。半導体を設計・製造するというハイテク企業であるから研究開発費は売上の10%にも達し、技術オリエンテッドであるのは当然である。

しかし1991年から始まったインテル・インサイドのマーケティング戦略はビジネスモデルを大きく変えた。これはPCがパーソナルな用途に広がることで個人顧客への訴求が重要になったタイミングで、インテルが他社に先駆けて始めた。チップをBtoBのビジネスモデルからBtoBtoCのビジネスモデルに変えた。このビジネスモデルの変更はテクノロジーだけでは達成できなかった。

インテルというまさにハイテク企業がマーケティング戦略によってビジネスを大きく変えた。そしてその前哨戦としてレッドXというマーケティング活動の成果があった。何も勝算なく巨費を投じてプロモーションをした訳ではない。そこにはステップを踏んだ展開があった。そして独り勝ち状態を作りたいという意思があった。日本の物づくりの中には良い製品さえ作れば売れる、広告は必要ない、といった風潮がある。インテルに比べると競争環境の厳しさの違いを実感する。

インテル・インサイド“は偶然生まれたものではなかった。

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そもそも失敗の存在に気づいているか?~『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』Mサイド氏(2016)

失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織

 サイド氏は英国のコラムニスト、ライター、だから人は、同じ過ちを繰り返す――。(2016)

 

医療過誤は死因の第3位

1999年、米国医学研究所は「人は誰でも間違える」と題した画期的な調査レポートを発表した。その調査によれば、アメリカでは毎年4万4千~9万8千人が、回避可能な医療過誤によって死亡しているという。

ハーバード大学のルシアン・リーブ教授が行なった包括的調査では、さらにその数が増える。アメリカ国内だけで、毎年100万人が医療過誤による健康被害を受け、12万人が死亡しているというのだ。・・・「回避可能な医療過誤」は、「心疾患」「がん」に次ぐ、アメリカの三大死因の第3位に浮上する。(20ページ)

アメリカ国内で実施された、医原性損傷(診断・処置のミスによって起こる損傷)に関する疫学的調査によれば。受信1万件につき、44~66件の深刻な損傷が起こっているという。しかし、アメリカ国内の200以上の病院を対象に調査を行ったところ、上記のデータに見合う損傷数を報告した病院は全体の1%にすぎなかった。しかも50%は、受診1万件につき5件未満と報告していた。この結果が正しいとすれば、大半の病院が組織的な言い逃れを行っていることになる。(30ページ)

クローズド・ループ

西暦2世紀、ギシリャの医学者ガレノスが「瀉血」(血液の一部を抜き取る排毒療法)を広めたとき、水銀両方なども含めたこの種の治療法は、当時の最高の知識を持った学者が、まったくの善意から生み出したものだった。

しかし、その多くには実際の効果がないばかりか、なかには非常に有蓋なものさえあった。とくに瀉血は、病弱な患者からさらに体力を奪った。当時の医師たちがそれに気づかなかった原因は単純だが、根が深い。治療法を一度も検証しなかったのだ。彼らは患者の調子がよくなれば「瀉血で治った!」と信じ、患者が死ねば「よほど重病だったに違いない。奇跡の瀉血dえさえ救うことができなかったのだから!」と思い込んだ。・・・「クローズド・ループ」とは、失敗や欠陥にかかわる情報が放置されたり曲解されたりして、進歩につながらない現象や状態を指す。・・・瀉血19世紀まで一般的な治療法として広く認められていた。(26ページ)

ランダム化対象実験~もし瀉血を行わなかったらどうなっていたか?

患者が二つのグループにランダムに分かれている。「介入群」は瀉血療法を受け、「対照群」は受けていない。この検証方法は「ランダム化比較試験RCT」と呼ばれ、臨床試験などはこうして行われる。・・・実際(瀉血を受けたか否かの)二つのグループを比較してみると、中世の医師が盲目的に信じていた瀉血療法は、より多くの人々を死に至らしめていたことがわかる。この事実は、対照群の設定がなかれば目に見えない。これこそが瀉血19世紀 に至るまで盛んにおこなわれてきた要因だ。・・・成功に見えたものが実は失敗だったり、その逆もある。そもそも失敗かどうかはっきりしなければ、失敗から学ぶことはできない(191ページ)

失敗の科学

 医療方法はランダム化比較試験RCTを導入することによって成功と失敗を明確に比較することで著しく進歩することとなった。しかし医療を患者に活用する現場では失敗が隠されている。その結果未だ、患者10名に1名は医療ミスに合っている。本書は失敗から学ぶことが最良の進化の方法である、と提言する。失敗から学ぶとは陳腐ではあるが最高の方法あるのである。我々は間違える、その間違いを共有することで更に賢くなれる。それを拒むのはプライドであり、短期的な個人の損得であり、階層的組織、である。

蛇足

そもそも失敗を失敗として認識できているか?

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毎日進化すれば、1番になれる~『孫社長のむちゃぶりをすべて解決してきた すごいPDCA』三木雄信氏

孫社長のむちゃぶりをすべて解決してきた すごいPDCA―――終わらない仕事がすっきり片づく超スピード仕事術

三木氏はソフトバンク社長室長を経て、事業化として独立。孫正義社長のどんなむちゃぶりにも答えるために必要だったのが、超スピードで、かつ確実に成果を出すPDCAでした。

パラソル~ソフトバンクがYahoo!BBを始めたとき

街頭でモデムを配る手法は、社内で「パラソル」と呼ばれていました。

商店街やショッピングモール、駅前などの一画になる3坪程度の空スペースを借り、パラソルを立てて簡易的な販売所を作り、その近辺でどんどんモデムを配る。だから「パラソル」というわけです。(119ページ)

ありとあらゆる方法を試す

販売を委託する代理店も1社や2社ではなく、何十社も試しました。どこの代理店が高い結果を出すか、実際にやってみないとわからないからです。

パラソルを展開した場所やエリアも、通常のキャンペーンでは考えられない規模でした。

商店街の空き店舗やスーパーマーケットの駐車場の一画、駅前や公園のフリースペースまで、それこそ「日本全国の北から南まで、借りられる場所はすべて押さえろ!」という勢いでした。トータルでは何千か所に上がったはずです。

とにかく、少しでも結果につながりそうなものがあれば、数も場所も広げて大々的に横展開するというのが孫社長の考えでした。(184ページ)

パラソルはまるっきり冒険ではなかった

なぜ「パラソル」を孫社長が考えついたかというと、すでに他の業界では効果が立証されていたからです。

衛星放送の「スカパー!」がサービスを始めた頃、実はソフトバンクがチューナーの販売を請け負っていました。そのとき、「パラソル」が成功したのです。(121ページ)

孫社長の仕事の特徴

・目標へのこだわり」が異常に強い

・目標を達成するために、「ありとあらゆる方法」を試している

・「数字で厳密に」試した方法を検証している

・「常にいい方法」がないかと探っている

そう、PDCAを忠実に仕事にしているのです。(8ページ)

 

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懐かしい!出典:日本経済新聞電子版2013.12.20

 

孫社長のむちゃぶりをすべて解決してきたすごいPDCA

ソフトバンクはヤフーBB!を2000年に開始した。ソフトウェアの流通業・出版事業で業績を伸ばしてきたが、バブル崩壊やソフトウェアの直販の高まりによって成長が鈍化していた。その次の成長として選択したのが通信業界、その第一歩としてADSL事業を選択した。当時ADSL事業は通信速度が安定しない、NTTから回線を借りる必要がある、といった点から通信業界では異端視されていた事業であった。事業のコアも非常識なら販売方法も非常識、さらに2000年から2004年までソフトバンクは4期連続赤字という巨額の投資を行いADSL事業の成立の為に「ありとあらゆる方法」を試していた。

当時のソフトバンクの社長室長だった三木氏は、孫氏の凄さがPDCAを1日単位で実践していたことだったと説明する。2000年当時、私は「パラソル」によるADSLモデムの拡販を、冷ややかな眼で見ていた。派手なことをやって勝算があるのか?と。派手な「パラソル」は実は過去に成功事例があり、PDCAを使って「パラソル」を日々洗練させていた。極めて綿密な計画があったのである。PDCAの基本は①毎日できる、②具体的なアクションである、ことであるという。毎日進化させれば必ずNO1になれる。4期連続し赤字になった5年後の2005年、売上は倍以上の1兆円を突破した。

蛇足

ADSL事業は、固定電話(日本テレコム買収)、携帯電話(ボーダフォン買収)と繋がっていく

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来世信仰たるキリスト教と資本主義はどうして共振するのか?~『「棲み分け」の世界史』下田淳氏(2014)

 「棲み分け」の世界史―欧米はなぜ覇権を握ったのか (NHKブックス No.1222)

  下田氏はドイツ史・ヨーロッパ史の研究家、かつて文明に程遠い周縁の地であったヨーロッパが武力によって世界を支配して以降、国際秩序に変化はない。彼らの飛躍的発展を可能にしたものは何か?(2014)

 

 

 

聖俗の棲み分け

「聖俗の棲み分け」とは、より正確に定義すれば「聖なる空間と俗的空間の棲み分け」と、「聖なる時間と俗的時間の棲み分け」である。・・・「聖」とはミサ(拝礼)・祈り・説教・告解・洗礼式などのキリスト教における宗教儀式全般を意味し、「俗」はそれ以外のあらゆる行為と定義する。(150ページ)

来世信仰VS現世信仰

キリスト教は来世信仰である。(ここでいう来世とは死後の世界のことである。来世といって「次の現世」と考えるのは仏教の輪廻思想の影響であり、両者は別物なので注意されたい)。つまりキリスト教は、現世は浮世の幻で、天国で救済されることを目的とする宗教である。来世信仰が知識人聖職者のキリスト教である。・・・しかし民衆の信仰にはもう一つ、より強力な信仰があった。現世信仰=奇跡信仰である。この世での救いを、神=キリスト、マリア、諸聖人に祈願したのである。・・・知識人聖職者のキリスト教は願掛け(現世信仰)を決して認めない。救わるかどうかは最終的には神の意思のみにあって、人間にはどうすることもできないというのが知識人聖職者の考えるキリスト教の原則である。・・・16世紀の宗教改革以降、プロテスタント諸派のみならずカトリックの知識人聖職者も民間信仰の“駆逐”に乗り出した。(167ページ)

聖俗の棲み分けは資本主義と整合性

聖俗の棲み分けは「能動的棲み分け」のはしりであったが、キリスト教の教えそのものから導き出すことができない。それはローマ・ゲルマン社会の知識人聖職者による意図的・能動的行為の結果として行われたのである。・・・聖俗棲み分けは、特定の空間と

特定の時間には一つのことしかできないという発想である。これが資本主義社会に適合的なのである。・・・ヨーロッパだけが聖俗の棲み分け(それが時間・空間の能動的棲み分けに連動していく)に成功したのはなぜか?それは、資本主義を効率的に運転しようとする「努力」の結果であったと考えられる。(170ページ)

 

「棲み分け」の世界史

下田氏はドイツ史、ヨーロッパ史を研究する過程で宗教施設から俗的行為が徹底的に排除されたのは19世紀以降であってそれ以前は混然としていたと指摘する。聖俗の棲み分けを徹底したのはヨーロッパ・キリスト教社会でありそれは資本主義を加速させることになった。この仕組みは世界に伝播し他の地域・他の宗教でも聖俗の棲み分けは行われているがそれはヨーロッパの影響であると言う。指摘のとおり、日本の戦国大名は寺に陣を構え戦にのぞみ、イスラム教のモスクは今でもコミュニティセンターの様に聖俗一体となっている。

キリスト教の最終目的は天国に行けるという来世信仰である。突き詰めると来世のために現世では労働だけに勤しむ、という棲み分けの発想になる。ヨーロッパの覇権確立以降、我々も来世信仰と資本主義の行動様式で行動している。それは資本主義的に時間の効率性を高めるのには効果的であった。しかし、資本主義の効率が高まった今日、あるいはヨーロッパにとっての辺境の消滅した今日、聖俗棲み分けによる労働の純化が労働のモチベーションを稀薄化させていると考える。ヨーロッパ的聖俗棲み分けは過去からそうであった訳ではないし、世界的にみればそれ以外の地域も存在していたのである。

蛇足

聖俗の棲み分けは効率的だが唯一の正解ではない。

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あなたの業界にフリーランスがやってくる~『フリーランス女医は見た 医者の稼ぎ方』筒井 冨美氏(2017)

フリーランス女医は見た 医者の稼ぎ方 (光文社新書)

筒井氏はフリーランスの麻酔医、大学病院の教授の権威は失墜し、野心溢れる若手医師が目指す存在ではなくなった。専門的なスキルを売りにして腕一本で高額な報酬を得るフリーランス医師は、 病院にとってもなくてはならない存在となった。(2017)

 

  大学病院を辞める

 

本格的な高齢化社会となり、手術や麻酔の必要な病人は増える一方だ。・・・働けば働くほど仕事は増え、36時間連続労働も常態化していた。・・・有能も無能も給料はさほど変わらず、上が詰まっているので出世も望み薄・・・しかも、改善される見込みは全くなかった。40歳を過ぎたある日、私は大学病院に辞表を出した。「このまま職場で働き続けると、過労死か、医療事故が必ず起こる」と、直観的に思ったからであり、その時点では明確な将来設計があったわけではない。・・・退職1か月前、辞意を公表したところ出張麻酔の依頼が殺到し、退職の2週間前には翌月の仕事がすべて埋まった。・・・独立初年度、年収は大学病院時代の3倍になり、なおかつ週5日は自宅で夕食を食べられ、また日曜と祝日は完全休業日になった。(38ページ)

フリーランス医師とは?

フリーランス医師は、あらかじめ契約した条件に従い、「結果に応じた報酬」を受け取る。高リスク・高難度・長時間の仕事は、相場がワンランク上がるので、有能で勤勉な者ほど高収入となり・・・・低能医の場合は、仕事も途切れがちで収入もさほど増えず、こっそりと年功序列型の勤務医に戻る者も多い。無能医に怖い思いをさせられた病院は、二と無能医には声をかけなくなくので、マーケットに淘汰される。要するに「有能は優遇、低能は冷遇、無能は淘汰」の世界であり、これが「マーケット」という名の神の見えざる手である。

フリーランス医師が浸透しつつある

2015年、日本麻酔科学会によるマンパワーアンケート調査は、学会幹部を驚かせた。一般病院の59%(これは想定の範囲内)、大学病院の39%が外部からフリーランス麻酔科医を雇っている」という結果だった。大学病院でも4割という事実は、彼らの予想を超えた。(41ページ)

日本の社会の縮図~ソリティア中高年

公務員や安定した大企業において、年功序列でなんとなく管理職になり、1日中自分の机に座ってさえいれば、ソリティア(パソコンに無料インストールされているゲーム)ばかりやってもお給料をもらえる中高年正社員を指す。・・・大手広告代理店・テレビ局・電力会社・公務員・大学のような非グローバルな規制業種では、まだまだソリティア社員は温存されている。(184ページ)

インターネット社会の到来

フリーランス医師が生まれた理由の一つは「インターネット社会の到来」である。ここ10年の技術革新によって、インターネットとは単なる情報伝達や娯楽に留まらず、個人と個人が直接つながることを可能にした。・・・「自分のスキルを磨き、よりチャレンジングな仕事を成功させたい」「成果に応じた報酬が欲しい」「時間や組織に縛られず、自分流のワークスタイルを貫きたい」という人材には、面白い時代となりつつある。(193ページ)

医師の稼ぎ方

筒井氏は40歳まで大学病院勤務と医師としての王道を歩いていた。40歳を過ぎて退職を決意する。大学病院の勤務状況に耐えられなくなった故に決める。大学病院は典型的な日本型組織である。大学病院の窓際となった医師が余っているという。こんな社会的損失はない。そしてこれは大学病院だけでなく、日本社会全体の特徴なのかもしれない。

筒井氏は「フリーランスになって9年間生き残ってきた」という。有能だからである。エリートが避けて通る様な泥臭い現場を経験しなければ、フリーランスで活躍できる様な医師になれない、という。本書は強者の論理一本ではないからこそ、面白い。

蛇足

自分の業界にフリーランスは居るか?

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